「カルテット」と「それでも生きていく」で知る、成就するものだけが良いわけではないこと
1月頭くらいに書いていた、書きかけのブログがある。やっぱりちゃんと書ききろうとすると一発じゃ終わらなくて、そうすると結局、書きかけのまま放置することになってしまう。
まあ、ざっくりいうと内容は「私のやりたいのはやっぱり、感性を磨くお手伝いをすることだって気づいた」って話です。平田オリザの本の影響もあって。
で、今日はそれの続きを書く気力もまだないので、大好きなドラマの話をします。でもきっとどこかでつながってる。年始に書こうとした内容とね。
2018年は、惜しまず個の表現に触れようと思いました。
映画も見たいし、舞台も見たいし、展示やライブにも行きたい。
芸術や表現と言われるものだけが感性を磨くことになるわけではないけれど、一人でできる感性みがきはそういうことがやっぱりやりやすいし、実際そういう表現を通してみる日常とは違う世界の威力ってすごいんだ。
だから、1月はすでに映画を4本見てます。わたしにしてはとても多い。DVDもあるけど。なんだろう、とてもいい。これはまた今度言語化しよう。
で、映画ではないんだけど、2017年1月からやっていた「カルテット」というドラマがとても好きで、あとたしか2011年の夏ごろにやっていた「それでも、生きていく」というドラマもとても好きで、このドラマを見て考えた「好きという気持ち」についての話をします。
「カルテット」は弦楽四重奏のできる4人が軽井沢で共同生活しながら、お互いをだましたり好きになったりしながら生きていく話。
4人のキャストの演技も、セリフも、予想を超えてくる展開も、秀逸すぎて毎回映画を一本見たような気分になっていました。全然あり得ない設定なんだけど、人間ってこんなふうに多面的だよなあ、ほんとは。というのが根底にある感じがあちこちからします。
「それでも、生きていく」は、妹を殺された青年と犯人の妹が出会い、心を通わせる中で家族と自分の生き方に向き合っていく話。
こちらは重い話なんですが、どうしようもないことに向かう人間のありようがすごくリアルで、日々は続いていくんだよってことが時に悲しく、時に笑えるような雰囲気で描かれる。
うーん、大竹しのぶの演技も良いし、瑛太も満島ひかりも素晴らしすぎて、だいぶファンになりました。だいぶ泣きました。
・・・全然説明できている気がしない。笑 まあ、本当にこのふたつのドラマの良さを語り出したらものすごいことになっちゃうので、今回はこのへんにしておきましょう。笑
「それでも、生きていく」を見たのは高校3年生のとき。受験勉強の合間に、これだけは、、と思って地デジじゃないテレビで見てました。
注目すべきは、このドラマの結末。陳腐な言葉を使うと、めっちゃせつないです。
(※たまたまYouTubeで最終話の最後があがっていた。最高)
お互い、とても好き。でも、離れる道を選んだ2人。
2人は、それぞれの日々のささいなこと、でも相手を想い出した小さなことを手紙に書きます。
でも、それは相手に送らずに木の枝に結んでいくのです。
カルテットのすずめちゃんは、別府さんのことが好きだけど、こう言います。
「いいの、片思いで。いった旅行も思い出になるけど、行かなきゃった旅行も思い出になるでしょ。」
「ちょっと頑張らなきゃいけない時、その人が、ちょっといるの。で、エプロンかけてくれるの。それでちょっと頑張れる。そういうくらいの、好き。」
・・・・・・・・・
これね、なんか説明するのが野暮な気がしてきました(笑)
もうね、まずは見てほしいんですが、このドラマを久しぶりに思い出してふと思ったのが、
「成就する恋だけが意味があるわけではない」ってことです。
どっからが恋なんだ、みたいな話をすると果てしないので、まあ、「好きだと思う気持ち」として。
その人が居ない時にその人のことを思い出して、ちょっと自分が行動を変えてしまうようなこと。会いたいなと思うこと。会えなくても、その人の幸せを想うこと。
たぶんねえ、その気持ちそのものに価値があるなあって、思います。
世の中にたくさんそんな気持ちが生まれたらいいのにって思います。
成就するかどうかなんて、たぶんあんまり関係なくって、その気持ちを持ってるだけで、うん、まずは十分。
その気持ちは見えないから、みんな目に見える成果や契約を求めてしまうし(付き合うとか、結婚とか)、いやいやアプローチしなきゃ意味ないでしょ!って言う人多いけれど、
ひとを好きになるってそれだけで、褒められていい。えらい!
ええと、何が言いたかったんだっけ。笑
でもそういう、ちゃんと「いろんな色を持つ気持ち」に敏感でありたい。大事にしたいのです。うん。