おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

そだちとわだち

久しぶりにはてなブログ。ほんと、1年以上ぶり!?しばらくnoteの方に移行していました。

なんとなくnoteの方に書きづらいことをこちらに書こう。笑

noteはSNSとブログのあいだのツールなので、こうなんというか「わたしっぽさ」みたいなのを意識して書いてしまうのです。あとはちょっと作品っぽく書いてしまうと言うか。

純粋に言葉にしたい、文章にしておきたい、みたいなことはもっとたくさんあるけど、noteにはあまりかけていません。あとはTwitterと自分のword日記に書いている。

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今年は、今までとこれからの自分の生き方と自分自身の内面と、暮らしと仕事を全部いっぺんに見直した(見直さざるを得なかった)年だった。

今もまだ見直しきれていない。のだけど、書きたいことがあったので書いてみる。

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29歳になった。まわりの結婚・転職などに影響されて将来の不安がつのる時期とされている「クオーターライフクライシス」に入ってからすでに2、3年ほど経っている。私も例に漏れず不安になったり、実際に働き方を見直そうと試みてきての2,3年。

25歳くらいまでの私は、「今」と「1~2年後」くらいまでしか具体的な想像をせず、あとは自分の直感が導く「きっとこっちに行った方がいい」という方向へ突き進んできた。シェアハウスからシェアハウスへ引っ越したり、田んぼや畑を始めてみたり、友達とラジオやZINEづくりを始めてみたり…そのひとつひとつは私にとってはあまり大きな決断をした記憶はなく、外からきたきっかけボールを私なりに打ち返してできてきたものだったし、それをし続けられたのも具体的な「今後」の想像を数年後くらいまでしかしていなかったからだと思う。

クオーターライフクライシスに入ってからの私は、急に「30年後」くらいまでを考え始めた。いや、正確には「パートナーやまわりの仲間と楽しく暮らし、自分を表現しながら、個人で(もしくは家族と)仕事をやれているといいな」となんとも完璧なストーリーを描くようになっていた。そのストーリーを描いてしまったために、そして少しその未来が見えてしまったがために「どうしてもそうならなければ」とある意味自分を縛っていたのかもしれない。

その想像が「いったん難しい」もしくは「早めに決断しなくてはならない」という兆しが出始めた今年の夏の終わりごろから体調を崩し始めた。仕事も繁忙期で時間の余裕がない中、精神的にきつい出来事が立て続けに起こった私は、数日食欲がなくなった。村上に車で向かう途中に寄ったタリーズのパスタがほとんど吐き気で食べられなかったのは今でも忘れられない。

 

私はいつしか、人と自分を比べる自分に影響を受けすぎるようになっていた。自他の境界線を引きなおす必要があるという話はまた別で書こうと思うけれど、私が人と比べやすくなっていたひとつの理由は、私の選んできた進路と環境にあると思った。

 

生まれ育った場所も、学歴も、家庭環境も、関係ない。ある程度の年齢に達したら、行きたいところへ行ってやりたいことをやろう。暮らしも一緒に居る人たちも好きに選べばいい。

もちろん叶わないこともあるけれど、そういう考え方自体は普通になってきている。私もそう思うからこそ、大学4年で休学したし、新潟で就職もした。両親からは反対されたし、楽しいことばかりではないだろうことも分かっていたけれど、その道を選んだ。今だって、後悔はしていない。その選択をしなかったらもっと後悔していたと思う。

だけど、当時はわからなかったことが、ある。

それは、「イレギュラー」な道を選んだら、ずっと自分で道をつくりつづけなければいけないということ。あと、「好きなもの」「やりたいこと」を能動的に選べるのは自分が「元気なとき」であるということ。

 

「レールを外れる」という言い方がある。生まれ育った環境・年代が同じ中でたいていの人が選ぶ進路ではないものを選んだ人たち、選ばざるを得なかった人たちが言ったり言われたりする言葉。どちらかというと自分で言うことの方が多いかな。東京の進学校を出てM治大学を出た私が、新潟の小さな会社に入ってシェアハウスや田んぼをしながら暮らしているということに対してもそういう言い方ができる。

でも、そんなはっきりしたレールなんてもともとないとも言えるし、外れるかどうかの2択じゃないとは思う。ただ、なんとなく既存の「何も考えなければ一番生きやすい道」はたしかにあると思うのだ。

雪国の言葉でいうと、レールというより「わだち」がしっくりくる。わだちというのは、先に行った車のタイヤが雪をふみしめて次に行く人が進みやすくなっている道のこと。

 

新潟に来て出会い、今もつきあいのある友達は、感性と価値観がなんとなく近い。一緒にいて居心地がいいし、話したいことは尽きない。高校時代までの友達よりよっぽど心を許している。お父さんやお母さんみたいな年上の頼れる人たちもいるし、慕ってくれる年下の学生たちもいる。

けれど、新潟出身や地方出身の人が再びあるいはずっと新潟に居ることはある意味「わだち」に沿っている行為であり、私とはちょっと違うなと思ってしまうことがある。

ちなみに、地元の人と結婚すればだいぶその「わだち」に入れる感覚がある。「結婚」というものもそういう「わだち」のひとつとも言える。いくら「新しい働き方」「新しい暮らし方・家族のあり方」と言ったって、そういう道を選んできた先人たちが多いということは、それだけ選ぶ理由があるのだ。それを選ばないということは、生きづらさや孤独感をかかえながら生きていくということでもある。

そういう生き方を、私は今までポジティブな面でしかとらえていなかった。まわりにそれを褒められたり喜ばれたり、取材されることも多かった。「移住」というわだちも最近ではできてきていて、(この場合は「文脈」が近いかな)たぶん一時的にそのわだちに乗っかっていたのもあると思う。「そういう生き方って良いよね!」と思い言われすぎることは、今の私の生きづらさにつながっている。

 

年末、久しぶりに会った年下の友人に「最初、ゆきさんとはそだちが違う感じがしたんですよね」と言われた。「そだち」という言葉の持つ響きがあまり好きではなくて、なにそれ、と不満げな反応をしてしまったけれど、そういう感覚ってあるのかもしれないと思う。他人と全部をわかりあえないのは仕方ないのだけれど、わかりあえたらと期待してしまう私たちはそんな風にかすかな差異を見つけて少し悲しくなったりする。

 

みんな、ある意味では「わだち」と「わだち」のあいだに新しいわだちを作り続けて生きている。でも、太くて強い、大勢が踏みしめていったわだちを意識してしまうときがある。東京出身で東京の大学あるいは地方の国立を出て、東京でしばらく会社員をやり、数年たって同棲して、結婚。子どもができて、家を買う。あと私の場合周りに居るのは、学生時代の活動をきっかけに思い入れのある地域に移住して、会社やお店を立ち上げて、その地域で出会った人や学生時代から付き合っている人と結婚。結婚後も自由に自分のやりたいことを続ける。私と異なってる場合だと、新潟出身で一度県外で働いて、しばらくたって地元の良さを思い直してUターンして自分の事業や活動を始める。

ああ、嫌だ。私の頭の中はこんなふうに人をパターンで見ているなんて。すごく嫌だ。人のことをそんなふうに分析している暇があったら自分の目の前に集中したい、と思う。でもどうしても考えてしまうのが私の頭だし、たくさんのパターンを知る・見る仕事をしてきたせいもある。

 

ほんとは、そんな大きなわだちのようなものの話じゃなくて、どんな運転の仕方をしたり、何を楽しんで道を進んでいるのか、車窓からなにか見えたのか、そういう小さなことの方が本当は大事で、そこに注目したいのに。

 

今は偶然、そういう時期なのだろうと思ってやり過ごすことにしよう。時間がたつ、ということがどういうことなのか、29歳になるとちょっと分かってきた。時間がたつことを待つだけで変わることもきっとある。だから今この時の複雑な気持ちをこれはこれでここに記しておく。