編集だったのか!
先日、アルプスブックキャンプに行って来ました。
全国から名だたる素敵な本屋、雑貨屋が集まり、
湖畔でキャンプができ、
かつ久々にツルハシブックスのメンバーで出店ができるということで、
私は3週間前からこのイベントを楽しみに仕事やらイベントをがんばってました(笑)
このイベントが楽しかった話はいくらしてもきりがないので、割愛。
話は、ここで買った本の話。そこから生まれた気づきの話。
「Re:S」や「のんびり」でおなじみの藤本さんが書いた「魔法をかける編集」。
実はまだわたしは途中までしか読めていないのですが、
良い本に目がない?西田卓司さんが先に呼んで、興奮して「やばい、めちゃめちゃアツイ本だよこれ!」とメッセージしてきました。
西田さんが書いたブログはこちら。
西田さんの話を聞いて、実は昨日まで、ふんふん、たしかにそうやなあ、すごいな、くらいに思っていたのですが、
今日、あっと思いました。
そういえばずっと、私も「編集」のトライアルをしていたんだと。
私が今まで何度も考えてきたことが、藤本さんと西田さんのいう「編集」だったことに時差ありで気づきました笑
それを「編集」と「私が」呼ぶかどうかはまだちょっとわからないけれど、藤本さんと西田さんに言わせれば編集だったんだな、と思うことを私はやってたし、惹かれてました。
7月15日の、内野軒下マーケット。百姓百貨店。
6,7月の、すみだ青空市ヤッチャバ。
もっとさかのぼって、ツルハシブックスで作った冊子、「本棚と青い鳥」。
もっともっとさかのぼって、飯塚商店と大口屋を応援したいコメタク。
ずっと、何かを発信するときに、出店するときに、少し自信がありませんでした。
それは、「自分自身」が何かをゼロから生み出しているわけではないことへの自信のなさでした。
好きなものを伝えたい、地域の素敵なものを伝えたい、という行為をやってみていることに納得感はもちつつ、でも
特に誰かにお金を払ってもらうようなときには、農家や作家さんといった自分で何かを作っている人の前では、縮こまるような気持ちになることもありました。
でも、どこかでこれでいいな、とも思っていました。
だって、集落で、新潟の地域で、「わたし」が選んで、交渉して、運んできたものだもん。
(ここまでを8月頭に書きかけていたので、9月頭の今、続きを書きます)
編集とはたぶん、今の自分なりの視点で切り取ること。
だとしたら、すでに似たようなものがあることや誰かがやっているかどうかは関係ないし、
「みんなに評価されるかどうか」も関係ない。
「自分が価値を感じたから」それだけでいいのが、編集なのかもしれないです。
今、長岡の木沢集落で大学生たちがやっているのも、編集。
木沢集落に関しては、過去にもたくさん編集がされているので、今回の企画は「再編集」なのかもしれないです。
でもそれでいい、だって今来ている大学生たちにしか切り取れないものがあるから。
人の数だけ、編集の仕方がある。
そして、彼女たちを見ていると思うのは、編集の条件はもうひとつ、それ自体がコミュニケーションであるということかもしれないと思いました。
自分が「出会ったこと」「体験したこと」そこで感じたものを「出す」こと。
誰にでも届くものである必要はなくなり、自分の今を出していくことが、結局は多くの人の心を打つような気がしています。
そんなわけで、作り出す人と同じくらい、「編集者」が地方にとって、これからの社会にとって
大切な気がしている今日この頃。
私もしっかり自分の編集をしたいものです。