旅と移住の間を考える
2016年6月14日のブログ*
なんだか最近は、就活も一区切りして
もうやりたいことがわんさか目の前にあふれてきている感じ。
結局私はどこかの部分で、ずっと楽しくやりたいことをやっていたいのだなぁ。
今日は、すごく嬉し楽しい研究会がありました。
その名も…
「旅と移住の間を考える研究会」。
正式なものは何もなく有志でやっているものです。
先日研究室で出会った、ローカルジャーナリストである尊敬する大先輩と、大学3年の時の私の岐路となったAMAワゴンというプログラムを企画していた同世代の友達と、それからこれからやりたいことをやってみよう、と意気込む若き2年生。
ふと話した思いが形になった、ゆるく大切なつながりです。
そもそも、旅と移住の間ってなんだってことなんですが…
私、新潟から帰ってからすごくもやもやしていました。って話は前にもしましたね。
内野が好きで、飯塚さんも好きで、
喜んでもらいたいしもっと良くするお手伝いをしたい。
その思いは強いのに、
「内野に住んでいない」。
住んでいなければできることはやっぱり間接的になってしまって、大きな力にはなりづらい。
そのことが「後ろめたかった」のです。
誰も責めはしないけれど。
でもきっと、やれることはあるのです。
関わり方が違うだけで。
ローカルジャーナリストの田中さんとお話ししてて、少しずつ言語化されてきました。
友達を誘って一緒に新潟に行っても良い。
新潟の美味しいものを出している東京のお店でごはんを食べても良い。
なんなら、新潟のことを友達に話すだけでも良い。
もうちょっと頑張って、新潟へのツアーを企画しても良い。
東京における新潟への窓口となっても良い。
新潟で気付いた町の良さの見つけ方を、東京で実践してもいい。
たくさんたくさんある、地域への関わり方。
ほんとは、「旅行で行く」くらいの距離感のある関わり方と
「移住する」くらいどっぷりな関係性との間に
たくさんたくさんあるんだよね、関わり方が。
移住するかどうかじゃない。白か黒かじゃない。
関係性はグラデーションなんだよね、たぶん。
でもその「間の部分」はあんまり発信されないから、なんとなく住んでない人は
「後ろめたさ」があるけれど。
後ろめたさを感じるのは、たぶん必要ない。
もったいない。
ちっちゃく、その地域や人への思いを行動にしていればもうok。
そんな関係の中で、見事に「間」でありつつ、関わった人みんなに価値を届けたのが、AMAワゴン。
多くの東京の大学生が集まって、隠岐の島の高校で授業をするツアーです。
企画を引っ張っていたおおわきくんの
ツアーを成功させるコツを今回プレゼンしてもらったんだけど、本当に本質ですごかったわあ。
AMAワゴンに来ていた大学生の満足度はたぶん、相当高かったと思う。
気づきと学びの量がものすごかった。
かつ、参加者のみんなはその後海士町にグラデーションな関係をみんな持ちつつそれぞれの道を歩んでいる。
それは、間違いなくおおわきくんの「コミュニケーションのデザイン」を始めとした努力とノウハウの賜物だなぁ。
これからこの研究会では、いろんな地域に思いをもつ皆がそれぞれ「旅と移住の間で」やろうと思ってることを実現できるようなちっちゃいアクションができたらいいなあ、と思っています。
まずはこじんまりと勉強会、共有会。
そしてそのうちワークショップとかね〜
肩ひじはらず、ゆるい関係の中で。
皆、旅と移住の「間」にいていいんだよってこと。
私もこれから、どんな関わり方ができるかとても楽しみになってきました(^_^)
19歳に届けたい
2016年6月9日のブログ*
2016年6月8日。コメタクの挑戦が始まりました。
飯塚商店改装のためのクラウドファンディング。
私なりにこの挑戦について感じることを書こうと思います。
私は今、内野に住んでいません。
内野には好きな人がいて、好きな場所があって、好きな食があって、ああ、豊かな暮らしだったなあ、また住みたいなあと思うのですが。
それはあくまで、私にとって。内野で暮らしたことのない多くの人にとって、「内野」の町自体が、そういう存在になることは無理があると思います。
でもいいのです。だって、それぞれが暮らしている町で「好き」と「隙」を増やしながら豊かに暮らすことはできるし、むしろそうなってほしいのです。
じゃあなんで、「内野」の「飯塚商店」を改装するのか?
それは、19歳のためです。(もしくは19歳マインドを持った人かなあ)
19歳が内野の飯塚商店に出会ってほしいのです。
自分の19歳を思い出してみてください。
人それぞれだとは思いますが、それまでと比べて自由になり、その分自分で決めて進むことも多くなる時期でしょう。
私は世界がぐんと広がってそれに感動すると同時に、「がんばらなきゃ」という切迫感みたいなものも感じていたのも覚えています。
生活も授業もサークルもバイトも進路も、そのひとつひとつの選択が「正解」なのか不安でした。
でもその正解とは、「一人で生きていけるようにしていくための正解」だったような気がします。
そんな風に正解を追い求める中で、忘れていたことがあったんじゃないか。
日々の大切さ。「丁寧に暮らす」ことが生む感性の豊かさ。
好きな誰かや好きな何かが暮らしの中にあるって、こんなに幸せなんだ。
偶然、飯塚商店に出会うことで、19歳にそんな気づきが与えられたら。
そこから19歳の暮らしがちょっとずつ変わっていったなら。
その先は具体的にはわからないけれど、その瞬間を作り出すことに大きな価値を感じます。
内野の飯塚商店は、電車のアクセスもよく、新潟大学も近くにあります。
なぜか若い人がどんどん集まってくる「ツルハシブックス」も近くにあります。
改装された飯塚商店の場の力と、コメタクの力が加わったらきっと、
19歳に大きな価値を届けられると思うのです。
19歳を経験したことのあるすべての皆さんに。
次世代に、19歳に、暮らしの大切さを伝える飯塚商店を届けませんか?
応援よろしくお願いいたします。https://faavo.jp/niigata/project/1381
扉を開く魔法
2016年6月4日のブログ*
進路について、絶賛迷い中。
今までもずっと迷ってきたから、いまさらこの迷ってる状態に不安なんてないけれど。
迷いながらも走ってるとは思うけれど。
去年ツルハシブックスで店員として迎えていた、「悩める若者」側に完全になっているな、と思います笑
でも、おんなじ違和感を抱えた同年代に出会ったあの時ってなんか嬉しかったなぁ。
同じ立場だけど、お客さんだとも思った。
まぁ、この話はまた今度。
(ブログを書く時にその時の状態も一緒に書きたくて、冒頭はそういうふうにしてるんだけど、長くなっちゃうのが悩み)
さて、先日、
「うちで働いてみるのはどう?」
と言われました。
別にほんとに働ける枠があるかはその人は分からなかったし、もちろん面接でもなんでもない場です。
そこで働けたら楽しそう、とは思っていましたが、そんな選択肢を考えたことがなかった私。
ちょっとびっくりして、そしてすごく嬉しかった。
そこで働くという想像をしていなかった私の頭に、新しい選択への扉が開きました。
実際には選択肢になるかも分からないことなので大げさかもしれませんが、
もし私がここで働くことになったら、この一言がきっかけになることは間違いありません。
そのとき、ふと思いました。
新しい世界へ巻き込まれる時は、だいたい「誰か」の「やってみない?行ってみない?」があるなぁ。
だからこの行動は、新しい世界への扉を開く魔法みたいなもんなんだ。
だってその一言があるだけで、可能性がものすごい広がるんだもん。
コメタクに誘われた時もそうだった。
そして思います。
でも、自分が「やってみない?」と言う側の時、
その言葉を投げるのに少し勇気がいるよなぁ。
だって、その人がもし乗ってきたら、責任もあるし、、
でも、覚悟を決めすぎた「やってみない?」は魔法の力が弱いように思います。
つまり、適度な適当さで「やってみない?」と言えること。
うまくいくかも分からないし、自分が面倒を被るかもしれないし、ましてや責任も取りたくない、でもその一言が起こす小さな変化に賭けて、ちょっとだけ思い切って言ってみる。
「やってみませんか?行ってみませんか?」
そんなこと言われなくちゃ行動できないなんて、とは思わない。
言って行動し始められる人がいるなら、(というかめっちゃ多いと思うんだけどそういう人)言えばいいんだ。
もっとみんなにこれをやってもらいたい。
人を巻き込むのが上手くて、一緒に何かやりたいな、と思える何人かの人は、皆これが自然にできている気がする。
実際、心の中でちょっと一緒にやりたいと思っていても、ちゃんと言葉に出して誘うことは意外としていないような気がするよ、みんな。
迷っている人ほど待ってる。その言葉。
今、私も結構その言葉がほしいです。
私みたいな何もできない人でも、一緒にやりたいと思えることがあったら、すぐ誘ってくださいね、ほんとに。
特に、就職先大歓迎。笑
あかりちゃんの酒蔵ツアー
2016年5月27日のブログ*
だんだん蒸し暑くなってきましたねー。
スーツのジャケットが辛くなってきました…
就活生の姿が目立つ都心部のこの頃です。みんな心なしか真剣な表情。
私はゆるゆるとごほうびばっかり自分に与えています。笑
さて、今日は先週の日曜日のことを書きます。
ピーカンに晴れた先週日曜日、友達が企画した小さな酒蔵ツアーに、タイからの留学生を連れて行ってきました!
この酒蔵ツアー決行には、きっかけがありました。
時は約一ヶ月前。 都内のもつ鍋やさんで、あかりちゃんという東京農大の3年生と、ごはんを食べました。
なんとあかりちゃん、私のただただその場で思ったことをばーっと書いてしまうFacebookの恥ずかしい投稿を見て、私と話したい!と思ってくれたらしく、連絡をくれたのです。あ、もともと1回会ったことはありました。
あかりちゃんは、去年度までやっていた部活をやめて、小さくでもやってみたいな、と思っていた「留学生に日本酒の魅力を伝える酒蔵ツアー」を始めてみることにした、と言っていました。
連絡をくれる思い切りや話している時の表情や、好きなものへの思いがなんとも素敵で、 一緒になにかしたくなりました。
酒蔵ツアーは5月に数人を集めてやってみるそうなので、 そういえば今日本に留学に来ているタイ人の友達がいたな、と思い出し紹介したのです。
そのタイ人の子も、なかなか日本人の友達ができなくて寂しそうだったのでこれは良い機会。
そんなこんなで、タイ人の留学生3人とあかりちゃん、それから私の5人で行きました。
東京都青梅市にある沢井という場所です。
ここが東京かよ!
というくらい渓流と山がきれい!! つり橋から見える景色が絶景です。
これが沢井駅から徒歩5分のところにあるんだから、最高。
こんなん、暇な日来ちゃうわ。
川で遊ぶのも、ちょっとしたごはんを食べるのも、かんざし博物館なんてのも、徒歩10分圏内。
もちろん、酒蔵も。沢乃井というお酒です。
それらを順番にゆっくり見るようなプラン。
これだけなら、まぁ一緒に遊んでいるだけですが、 一気に、もっと留学生を連れて来たくなったのは、
ごはんの後のあかりちゃんの手作りプレゼン。
大学で醸造を勉強しているあかりちゃん。日本酒のできる様子と種類、飲み方などをわかりやすい図で説明してくれました。
もちろん英語で説明してくれたので、日本語の話せないタイ人たちは大喜び。
それから、酒蔵を実際に見学させてもらうという流れです。それはもともとあった酒蔵見学にただ参加しただけ。
でもさっきの説明があるとないじゃぁ、全然違います。
タイ人の留学生たちは、本当に大喜びでした。1日が楽しかったこともですが、たぶん私が思うに、あかりちゃんと友達になれたことに関しても。
本当に連れてきてよかった〜〜と彼女たちの笑顔を見て思いました。
私も日本酒のプレゼンは知らなかったこともあって本当に面白かったよ。
このツアーのいいところ、あかりちゃん自身も楽しめるし無理がないところです。
「一緒に遊びに行く」と「好きなものの魅力を紹介する」が合体したようなツアーだから、 あかりちゃんもお金はもらってないけれど、なんだかみんながちょっと嬉しい企画なのです。
あったらいいな。と思うことの中で
結構簡単にできることはたくさんあるのかも。
こうじゃなきゃいけない、っていうのを思い切って取っ払うことがコツかもね。
それを取っ払ってちっちゃく何かを「やってみ」ることができる人が
スターターになるんだろう。
あかりちゃん本当ありがとう〜〜!
あわしまかぞく
2016年5月のブログ*
GWの思い出を書きます。
GWは新潟にいたのですが、
実は、いろいろあって、1泊2日で新潟県の村上市にある小さな島、「粟島」に行ってきました。
岩船港から船で1時間半揺られて、粟島の港に着くと、粟島村の人々が旗を振って迎えます。
漁船も船と並行しながら手を降ってくれたのはよかったなあ。
GWは1年に一度の島開きというお祭りなので、歓迎の仕方もものすごいのです。
お祭りでは、豊かな粟島の海の幸が売られたりイベントがあったりします。
私は実は1人で行ったのですが、1人の漁師さんを紹介してもらって、その方の出店を手伝ったり、おうちに泊めてもらったりしました。
・・・そして粟島で一番の衝撃は、
広い海でも、人口300人の島の自然でも、採りたて鯛のおいしさでもなく、(もちろん鯛は美味しすぎました)
その漁師さんの家でした。
家に行くと、何人もの人が迎えてくれたのですが、
そのほぼ全員が、本当の家族ではなく・・・
でも当たり前のようにリビングにいたり、楽しく談笑したりしています。
???
なんだろうこの不思議な家は。
広いお家ですが、公共の施設というわけでもなく、普通の民家です。
最初に人懐っこく話しかけてくれた高校1年生のみずきくんは、「潮風留学」という制度で中学校時代を親と離れて粟島で過ごしたそう。
今では山形の高校に通っていますが、GWだけ粟島に遊びに来ていたそうです。
中学校時代に仲良くしていたここの漁師さん、神丸さんとは師匠と弟子のような仲だそう。
何度もお家に泊まったりいろんなことを教えてもらったと言います。
そんな神丸家の今日の夕食は、なんと10人以上で!
神丸さんの本当の家族は今日は奥様だけなので、家族でない人がほとんど。
そして、その中で中学生の子供たちが4,5人。皆、潮風留学の子達だそう。
当たり前のように夕食の準備をして、一緒に食べて、話して笑って、片付けて……
もう、完全に家族でした。
その子供たちの神丸さんへの信頼と親しみ度に、私はなんだかもう感動してしまって、
ぶっきらぼうで漁師らしい漁師である神丸さんに興味津々。
夕食後にお話を聞きましたが、
すごく学びあるお話でした。
この出会いが、景色が、体験が、
どんなふうに子供たちの心に残っていくかを考えたら、
苦しくなるくらい大切な存在だと思ったから、
ああこの景色を皆に見てほしいと思いました。
神丸さんという、粟島から出たことがない生涯漁師をやっている荒くてぶっきらぼうで優しい人。
神丸さんの生き様を目の当たりにしたことがある子供たちが、これからその存在を知っているというだけでどれだけ助けになるか…
そして、神丸さんは紛れもなくその子たちの第二の親でした。これからも子供たちが成長するのを見守っていくのでしょう。
飯塚さんも私にとってかぞくで、
ずっとその存在が支えになると思いますが、中高生ならなおさら。
小さな島あわしまで、
大きな意味での「かぞく」を感じた2日間でした。
お世話になった皆さん、ありがとうございました!!
悩んで迷う、君が好き。
2016年5月17日のブログ*
本日は東京都新宿区からお送りします。
就トモカフェという、学生が使えるフリースペースにて、暇つぶしつつ。笑
最近、東京でも新潟でも、後輩がかわいくて仕方ありません、、
あ、後輩だけじゃないなぁ
同学年でも、先輩でも、
「好きだなぁ」と思える何人かがいることに気づきました。
定期的に、話したい人と一対一でごはんを食べる機会をとるようにしてるのですが、その中で気付いたのです。
その人たちの、共通点。
それは、なんとなく悩んでること、なんとなく迷ってること。
でもどこか前向きというか、自分の「好き」は分かっていて、ちょっとわくわくしている。
こういう子達は特に女の子が多いのだけど、この状態、とても素敵です。
自分の進む道が分かること、はっきり言語化できることは、
就活や大学生活で結構求められることですが、
それが出来すぎることはむしろちょっと危険な気がする。
私も面接とかしてると本当に思ってるのかも分からないような聞こえのいい言葉がぺらぺらと口から出てしまってぞっとするけど、
「私はこうなんです」
「こういう論理でこれがやりたいんです」
と言い切ってしまうことによって、
自分が分かってると錯覚して、
そこで「思考停止」が生まれる。
分かってしまうということは、それ以上考えなくてもいいということになってしまいそうになる。
特に言葉にするとそうなる。
だから、分からないままでいたいと思ってる。
分からないと、考え続けるから。
分からないと、やってみ続けるから。
もう全然これから何が起こるのか、実際に何がどうなってるのか分からなくて、
でも今の時点では、今までの経験で得た視野の範囲の中では、
こっちがいいんじゃないかと思ってる。くらいでいい。
だから、何かしらの相談の中で、
「でも全然わかんないんですよ〜〜!」
と言ってる人を見ると、なんだかちょっと嬉しくなる。
そうそう、分からないことが考える、やってみる原動力になる。
中高生と話す時も、そうだ。
自分がこうすべきだ、と分かってる子よりも、
なんか、よく分からないなぁ、迷ってるんだよなぁ、
そんな子たちに魅力を感じる。
自分にはまだ分からないことがたくさんあるということを
分かっていること。
それが、コメタクの言う「隙」でもある。
そういう「隙」を持ってる人が、私は好きなんだ〜
そして思う。
みんなみんな、
「途上」なんだってこと。
そう思うとほら、いろんなことが許せる気がしませんか。
自分も他人も。
飯塚さんに支えられてる
2016年5月16日のブログ*
どうも、井上です。東京は今日も人が多いです。
電車に乗りながら、今日も終わった〜〜とため息。
就活やら大学やらその他のやりたいことを毎日くぐり抜けてく中で、 感情や考え方の波はゆらゆら、ゆらゆら。
朝と夕方でも考え方が変わります。変わるというか、追加される感じか。
それくらい新しく知ることや感じることが多いのね〜
基本的には毎日楽しくしてます。そうじゃないと、私は生きていけないから。笑
就活も、ときめきと素直さを大事にしてたら、結構しんどくなくできています。
そうそう、こうなれてる理由のひとつに、ゴールデンウィークに感じた新潟の存在があります。
もっと言うと、飯塚さんの存在。
その話を書こうかなと思いました。
バスなどの関係で、今年のゴールデンウィークはまるまる一週間くらい新潟にいました。 (先生には内緒)
そして、その一週間、ほぼずっと、飯塚商店のおうちに泊まっていました。
去年は近くのアパートにいたのだけど、今はさくらちゃんあいりちゃんの家だし、SNSなどでは連絡が取れない飯塚さんと 新潟にいる時くらい一緒にいたいなと思ったから。
その5,6日間くらい、 毎晩飯塚さんと静かにお茶を飲みながら話す時間がありました。
次の日の朝も早いだろうに、 ゆっくり、ゆっくり私と話してくれました。
自分も飯塚さんも、結構話したいことあったんだなぁと自分でもびっくりするくらい、たくさん話したなぁ。
正直4月は、就活しながらも、 やっぱり今の私が本当にやりたいことは飯塚商店と一緒に何かすることなんじゃないか、と思ってしまって、思えば思うほどもやもやして、
そしてどこか、「内野に居たいと思い続けること」自体が自分の誠意というか自分を見失わないことなんじゃないかと思ってた。まぁ、それは勘違いだったんだと思う。
私は東京で働く選択肢とまず向き合ってみることが私にとって良いことで、 私にとって良いことを私がしてることが、私の好きな新潟の人達にとっても良いんだと。
そう思えたのは、この時の飯塚さんとの会話があったからです。
何日めかの会話の中で
別に、俺はどこへも行かないし、内野も逃げねぇから、
戻りたいと思ったら 何年か先でも、いつでも戻って来ればいい。
そんなふうに言ってくれたことがありました。
・・・その言葉が、どんなに東京にいる時の私を支えてるか。
あとは、私がする東京でのお米関係のワークショップの話がとても面白くて参考になるから、そういうのをまた教えてくれと。
そういう形でも役に立てるのはとても嬉しいなぁ。 優しすぎる、飯塚さん。
そしてそんな数日間を、特別でなく当たり前のように、ほどよく適当にお互いとても楽なスタンスで、私と同じ屋根の下で過ごしてくれたのが
なによりかにより 遠くても家族だと思う理由で、
それが 今の場所で頑張ろうと思える理由でした。
近くの家族も、遠くの家族も、 家族はやっぱり支えです。
私が新潟にいる時も、どこかで東京の家族の存在が私を支えてた。
今度は逆というか、新潟に家族を作って帰ってきたのか、笑
結婚したみたいな言い方だけど笑
でもとても嬉しい。
きっと横浜にいる、飯塚さんの娘さんのまいちゃんもそう思ってます。
まいちゃんとまるで姉妹みたいな心持ち。笑
さて、文章書いてて思い出したらまた元気出てきたので、
明日も頑張りますか。
(ゆき)