おばあちゃん孝行と瀬戸内の風
ちょっと前の、旅のこと。
夏休みの初めの、開放感にあふれた風がずっと吹いていた気がする、旅のこと。
8月1日。
夏休みのはじまりでした。
わたしにとって今年度の前期は、歯をくいしばる時でした。
身を切られるような新潟との別れと、
就活と、
家族と、
大学の授業と、
東京という故郷が違って見えてきた私自身と。
辛い時もあったけど、人生になくてはならない4ヶ月が、
終わった!!
そして一番、早く終わって欲しかった、大学の授業から開放された7月末。
早速私は、楽しみな旅を入れておりました。
行き先は、瀬戸内海。
前期、就活中支え合った友達がボランティアをやっている瀬戸内芸術祭に行きたくて、
関西のおばあちゃんにも会いたくて、
始まった旅。
お互いのペースを大事にできそうな高校の友達に声をかけました。
「久しぶり。瀬戸内芸術祭、行かない?笑」
実は、高校を卒業してから4年がたつけども1回くらいしか会ってない友達。
でもなんだか浮かんだのです、ふっと。
そういえば一回その子と高校生の時ふらっと吉祥寺に行ったのだけど、
あの時のテンポ、よかったなぁと。
瀬戸内芸術祭でボランティアをやっている友達も高校の友達だし。
まとめると…というか、今もうその旅から2ヶ月が経つけれど、思い出すのは、風だなあ。
船に何度も乗ったのだけど、風が強かったの。笑
瀬戸内にいく前に寄った親戚とのごはん会は、節目節目で近況報告をするのは、しなきゃいけないことなのだなぁと実感しました。
とりあえず、おばあちゃんがずっとやりたかったらしい「孫とショッピング(服)」ができたのでよかったー。
瀬戸内芸術祭は、豊島美術館も映画村も高松のうどんも言語の通じないカフェも最高だったけれど、
思い出す絵は、どうしても小豆島で見た「妖怪展」ですね。
あれはよかった。
手作りのいろーーんな「妖怪」がずらーーっと並んでるんだけど、
小学生が作った、私でも作れるわ!(笑)みたいな妖怪も、フィギュア作る仕事してんのかな?みたいな精巧な妖怪も、みんな同じ棚の上に並んでるの。
200体以上はあったんじゃないかな?見たことも聞いたこともないツボな妖怪を見つけてはずっとゲラゲラ笑ってました。
好きな妖怪ランキングトップは、インスタをご覧ください。
こういうアートがいいよなぁ。
すぐ入っていけるもの。ずっといたくなるもの。これでいいんだ、があるもの。
あと、夕暮れの瀬戸内海の船の上かな。
すごくちょうどいい風が吹いていて、れいちゃんのことがちょっと分かった気がした話ができた。
次の日の朝の豊島への船の風は声が聞こえないくらいのすごい風だったんだけどね。
3日間の旅で、
瀬戸内海まで来ても「あの場所もこの場所もクリアしたい欲」がなくなるようになったことと、
島で初めに乗ったバスに携帯を置き忘れて港で預かってもらったら「写真撮らなきゃ感」から開放されたことと、
棚田と海と空を同時に見られる場所がきれいだってことと、
夏の島はめっちゃ暑いってことと、
お互いの「好き」と「おもしろい」が近くて、どうにかなる感を共有できる友達サイコーってことと、
久しぶりにコーラを飲むとお腹が痛くなるってことと、
やっぱり良質なアートは交通費をかけて見に行く価値があること、が
分かりました。
一緒に行ってくれたれいちゃん、きっかけを作ってくれたみづき、朝から美味しいミネストローネを出してくれた親戚のおばちゃん、
私の進路を肯定してくれたおばあちゃんおじいちゃん、高松で会ってくれたあっぽ、タイ語で話してくれたお兄さんたち、
ありがとう。コップンカー。
わからない
2016年10月7日のブログ*
いつも、このブログには学びと気づきを書いているのだけど、
たまには、思ったままを、その思ったものに名前をつけずに、書いてみようと思う。
後期は、新潟が多めの、東京と新潟行ったり来たり生活。
新潟でやりたいことは山程あった。
でも、最近ちらつくのは、
「どうせ4月までだ」
っていう、わたしの心の声なのか、誰かの声なのかわからない声。
だから、何を始めるにも躊躇しているような気がする。
イベントはいい。その日で終わるから、全力で考えられる。
継続する何か、は…考えるのは楽しい。
でも、何をするか、が具体的になってくるとだめだ。
その時やる人がやりたいようにすればいいと思っちゃうから。
だから、これがいい!って言えない。自信がない。
4月以降どうするの。
の声に応えるのが一番面倒だった。
わたしは私の進路に一番興味がなかった。
逃げたいだけかな。
決めないでいたかった。
ずっと迷っていたい。
新潟の日々は楽しい。涙が出るほど楽しい。
飯塚商店の改装も、ツルハシブックスの閉店に向けてのいろいろも、そのほかもろもろのイベントも、たわいもない会話も。
東京は、刺激はないけれど、自分と向き合う時間は増える。少し怠惰になって、自分と向き合っている。
新潟に行くな、と母が言う。
私の幸せは理由に入ってなかった。
私の中で、新潟にいるひとが偉いのだった。
頭での理解ではそうじゃないって知ってるけど、そう思っている。
わくわくする計画をずっと話していたい。
意外と、話せていない。
もう終わるひとだからなのかな?
小さな幸せが、しあわせ。
みんなにそう思ってほしい。
まわりの何人かは、忙しすぎる。
解決策も助言もいらない。
散文でした。
百姓百貨店
2016年9月18日
1ヶ月の木沢集落でのインターンが終わりました〜
しのとあめちゃんが一足先に帰って、一人で過ごす木沢での1日。
めちゃめちゃ静かだったけど、なんだかいい時間でした。
ぐるぐる頭を巡るのは、昨日報告会をした百姓百貨店のこと。
「演劇と展示」という初めてのタイプの報告会にチャレンジできて、めっちゃ楽しかったのだけど、実は、当初考えていたような「箱に入った商品」は作れていませんでした。
2階の展示は、ズラッと並んだ100近くのアイデアの数々と、あめちゃんが1ヶ月の間に描いた絵たち。
もともと部屋のつくりや照明がいいので、なんともいい雰囲気になったのもあり、展示をきっかけに話に花が咲くような、わいわいとしたものになりました。
演劇は、「商品アイデアが商品になった時どんな物語が生まれるのか」を想定したもの。
1つ5分くらいの寸劇を3つやりました。
スタッフのみんなで思い切り演じて、笑いながらの終了。
最後に参加してくれた皆さんに感想を書いてもらって、終わりです。
実現しないアイデアは意味がない、と言われることがあります。
そう言う気持ちもすごく分かって、私も「やりたいなぁ」といいながらやらないでいるのはあんまり好きじゃないのだけど、
今回の百姓百貨店では、これでいいんだなと思いました。
なぜかというと、このアイデアを思いついたプロセスに価値があるから。
ひとつひとつのアイデアが生まれるきっかけは、初めての山奥暮らしで、集落の人たちに気づかせてもらったものや学ばせてもらったもの。
それを大学生が自分の肌で感じて何か伝えたい、と思ったことそれ自体が大事なんじゃないかなあ
私たち3人がこの集落で、どの週も満たされて生きていたって時点で、もう成功なんだと思うのです。
あとは、このアイデアを見てわくわくが生まれるから。
本当に小さなアイデアなのだけど、それがイラスト付きの超簡単な企画書になっていることで、見に来てくれた人は「わ、こんなことできたらいいな」とか「こんなこともできそうだ」と、わくわくとしか表現できないのがもどかしいのだけど、わくわくしていくのです。
なんかもう、それでいいじゃんって、
思ってしまいます。まずは。
そのうえで、ここで終わりじゃないなあ、とも思う。
今すごくやりたいこともひとつ、持っています。
木沢でやりたいこと。商品とは呼べないかもしれないけど、やりたいこと。
みんなでやってみたいことも、ある。
ここでやってみたい一人ひとつのプロジェクト(商品)がどんどん増える、つまりやりたい人がどんどん増えていけばいいよなぁ。
この1ヶ月が、これからきっと長く続く「木沢というフィールドがある人生」の一歩目なのかもなー。
楽しかった。ありがとう。
もうすぐ内野です。
ヒデさん
2016年9月16日のブログ*
いやいや、ついに私井上ゆきが長岡市川口木沢集落で1か月取り組んでいたインターンが終わりました。無事おわってよかったーーーー
今朝、他の2人のインターン生を送り出して(電車で号泣してたらしい)、
1日だけ、一人で滞在する木沢。
すごく静かになったけれど、最後にひとりも悪くないなあ、と思いながら、集落をおさんぽ。
歩いていると、何度かお世話になった90歳のおばあちゃん、ヒデさんが家からひょっこり顔を出しました。
「あら!!こんにちは!!」
「今畑から帰ってきたんだけど、お茶飲んでくか。」
前に盆踊りで撮った写真も渡したかったので、おじゃまします~と家の中に。
そこで30分くらいお茶飲みつつお菓子や漬物つまみつつ話しました。
話していて、やっぱりヒデさん、好きだな~と思いました。
年の離れたおばあちゃんと話すときって、やっぱりちょっと緊張するし、何を次に話したらいいか分からなくたったり逆にどう相槌をうったり話を楽しんだりすればいいか分からなくなることが多いです。
そりゃあ、方言もあるし共通の話題も少なければそうなってしまうのは仕方なくて、むしろそれは当たり前だから、特に苦でもなかったのですが、
ヒデさんと今日話したら、そういう気持ちなしで会話してることに気づきました。
本当に私が面白い、話したいと思ったことを話して、それでヒデさんが笑う。
ヒデさんがする話に、本当にそうだなあ、そうなんだろうなあ、と感動する。
すごく小さなことなのだけど、どんな時も自然体でいたい私は、ヒデさんの前で自然体でいれることに気づいたんです。
それはたぶん、ヒデさんが素直で自然体だから私もそうなれているんだろう。
前に、サチさんというばあちゃんが、手品の種明かしを教えた時に顎が外れるんじゃないかと思うくらい笑ってくれたときも同じような気持ちでした。
私たちが呼んだお茶会に、わざわざ急な坂を上ってきてくれて、しかもその坂の話を「きつかった」じゃなく「子供のころの通学路を思い出して懐かしい気持ちになった」と話してくれたヒデさん。
なんてすてきな!
そんなすてきな話のできるヒデさんが、自信をなくしているような、自分を責めているような話(耳が遠くて息子に迷惑をかける、腕が上がらないとか)をしているときはだから、私もどうにかそう思ってもらいたくないと思ってしまう。
ヒデさんを喜ばせたい、
と強く思ってしまいます。
なんかさあ、そう思うとなんでもできる気がしてくるよね。
ヒデさんのすてきさを残す、何かがしたいなあ。
そんなふうに思わせてくれるおばあちゃんが、私の人生に何人かいて、
すごく幸せです。
お茶会のしあわせ
2016年9月7日のブログ*
久しぶりの更新です~。クラウドファンディングが終わり、前期が終わり、新潟にきてうちのでしばらく過ごした後長岡市木沢で1か月を過ごしている最中です。
1週間に一回、内野に帰るというなんだか不思議な生活。でもしっくりきています。どちらでの活動にとってもいい影響がある気がする。というか、やりたいことばっかやってるので幸せなのかな。
木沢集落では、百姓に学んで感じたことを箱に詰めて並べたらどんなお店ができるか?を実践するというなんともまたわかりやすくはないインターンプログラムなのですが、「百姓百貨店」と称してとても楽しくやっています。
たぶん、地域での活動には「遊びゴコロ」が大事なんだなあ、と思うのです。
継続や儲けがないなら「お店作り」の楽しさを味わえない、なんてことはないと思うから、
じゃあ架空のお店を創業する設定でやってみよう!とインターンプログラムにできる遊びゴコロ。
その遊びゴコロが、それがないと生じる様々なつらさを消してくれます。
ただ、継続や儲けがなくてもお店作りができる理由は、期間限定なこと、架空であること、そして感じることがたくさんある山の集落でやるということ、かもしれない。
まあ、ともかく、今日はさっきやってみたお茶会の感動を記しておこうと思います。
今までも、なんてことだ・・・!って言う感動はおおかったのだけど、、。
木沢は32世帯の山奥の集落。住んでいる人の多くがばあちゃんじいちゃんです。
じいちゃんたちは、大のお酒好き。夜によく集まってお酒を飲んでいます。だから私たちもすぐにコミュニケーションがとれるけど…
ばあちゃんたちは、散歩をして畑で会うしかない。
もっとゆっくりお話しがしたいなあ、と思っていたので、インターン中に出しているお便りに日付と場所と「お茶会やります」を書いて配りました。
そうして今日の午後がそのお茶会の日。
秋らしさがありつつも、日差しがまぶしく汗をかくくらいの暑さの昼間でした。
暑いから、みんな来ないかなあ・・・
焼き芋を準備してくれているりゅういちさんを見ながら、ちょっぴり不安に。
でも、その不安は杞憂でした。
13時ごろ、最初の二人のおばあちゃんが私たちの住んでいる家に来てくれ、そのあともひっきりなしにばあちゃんたちがやってきて、たちまち1階の和室は超にぎやかに。
それぞれが持ってきてくれたたまごやらお団子やらをつまみながら、ぺちゃくちゃしゃべります。
9人のおばあちゃんがいたとおもうのだけど、もっといたような気がする・・・すごいエネルギーとかわいさ。本当にかわいくて愛らしい。方言をずっと聞いていたい。
たくさんおしゃべりできて、ばあちゃんたちのかわいさも浴びまくって、私たちが嬉しいのは当たり前なのだけど、
感動してしまったのは、ばあちゃんたちが予想以上に喜んでいたこと。
なんでも、こんなふうにお茶会のような形で集まるのは春以来初めてらしく、
みんなで一緒にお茶を飲んでおかずをつまんで、最近のことをあれこれしゃべること自体が
本当に楽しかった、と言ってくれました。
目の前の人、それも自分が愛や感謝を感じている人に喜んでもらうのは単純にうれしいじゃないですか。
でもそれを直接感じる機会ってなかったのかもしれない。だってこんなにも感動している。
私たち、お茶会やるよって言ってやってみただけなのに・・・!
しかも、何年も何十年もここで毎日が繰り返されている中でたった3週間前に入り込んだわたしたちの誘いなのに・・・!
こんなに一度に何人もの幸せな顔を見れるとは。
しかも本当にばあちゃんたち、いい顔しているんだ~。
やっぱり大学生は一回くらいこういう経験したほうがいいと思った。
自分が動いて、目の前の人から小さなありがとうを直接もらうこと。それを、あっこれが嬉しいんだ、って気づくこと。
「集落に住んで、お茶会を企画する」っていうのだって、そういう意味ではなんというかナリワイなのかもしれないんだ。
とにかくなんだか幸せだった、お茶会でした。
坂道降りて、ばあちゃんたちが帰ってゆく。
クラウドファンディングのこと
2016年8月9日のブログ*
飯塚商店の改装は、結構前からやりたいなぁと思っていたことでした。
その資金集めの手段を、クラウドファンディングにしたのは、絶対的理由があったわけではないけれど、一番やりやすい手段としてやりました。
クラウドファンディングを始めて、細かいやりとりはさくらちゃんとあいりちゃんがやってくれていたので、私は完全に楽をしていたのですが、
なんというか拡散することの難しさを感じました。
そりゃあ、お金が絡むことですから、友達だからといって簡単にぐいぐいメッセージしたりたくさんお願いしたりできません。
思ったより支援額が伸びないなぁ、とちょっと焦る時もありました。
「クラウドファンディングという手段の限界」を話してくれる人もいました。
「結局、支援する手間もあるし似たようなプロジェクトも多いし常にチェックしてる人は少ないし、顔見知りの人や価値がすでに理解できている少数の人、ようは「身内」が支援するんだよね。」
そういう声もあります、自分の中にもありました。
事実だと思います。でも、始め私はそれをどこか悪いことのように思ってるところもありました。
でも、達成した瞬間に分かったことがあります。
正確に言うと、達成した時にさくらちゃんにあることを教えてもらった時に。
「kさんとkさんとYさんは、直前でも達成していなかったら、援護射撃の準備をしてたんだって。」
「また支援する準備してたのに、達成しちゃった」と笑うその3人が思い浮かびます。
それを知った時に、
「なんだ、身内でいいじゃん。」と思いました。
そして涙がでそうになるくらい嬉しかった。
感性の部分で良いと思ってくれている人、単に私たちを「好き」でいてくれる人、そういう人たちを「身内」と呼ぶなら、
クラウドファンディングは「身内」のためのもので、全然いい。
きっと、私たちのクラウドファンディングは、 そんな「身内」の人たちに参加のきっかけを届けるものだったんです。
そんな「身内」が 150人もいたら、正直、人生をちょっと楽しくするたいていのことができると思うのです。
だって、19歳の暮らしをちょっと豊かにするようなお米屋さんの改装ができるんですよ。
もちろん達成したからこそ言えることですけどね(笑)
そしてもちろんみんなが援護射撃するほど強い気持ちではないですけど。
でも、これは前から感じていた感覚。
心でつながれる100人くらいの人と、暮らしの中でたわいもない会話をできる人が30人くらいいたら、なんかもうそれでたいていの人の幸せを作れる気がするのです。
もちろんその仲間というか身内というか、ゆるやかなコミュニティは、ドアも窓も大きく開け放しておく必要はあります。
タイミングと縁でいつでも入れたり出られたりするコミュニティでなければならないとは思いますが、
そういうゆるやかな輪が、東京にも地方にもたくさんあったら、もっとみんなシンプルに
「誰に何を届けたいか?」
でビジネスや商品づくりができたり、簡単に暮らしを豊かにすることができるのかもしれないね。
正しいかどうかなんて分からないけどね、でも、
クラウドファンディングが教えてくれたことも確かにたくさんあったのです。
ツルハシブックス閉店
2016年8月9日のブログ*
11月5日に、内野駅前のツルハシブックスが閉店します。
私が内野に来るきっかけになり、内野に住んでいた1年間は店員サムライとして奮闘した、ツルハシブックス。
この不思議な本屋の閉店は、実は、私たちにとっては始まりなのです。
以下は、私の閉店挨拶の文(笑)
サムライそれぞれに少しずつ違う思いがあるので、全員が閉店挨拶を書くという、またツルハシブックスらしいスタイルです。
***
何かがなくなることが、次のステージに進むきっかけになることがある。
今までも、ツルハシブックスはそうだった気がします。
西田さんが常にいるわけではなくなった時、今井さんが卒業した時、
地下のハックツができなくなった時…
どの時も、「誰に何を届けたいのか」っていう大切な部分を見つめ直して
やる人ややる方法を変えながらツルハシブックスは
新しいステップを登っていた気がします。
今度は、内野駅前というあの場所では「なくなる」。
だから、きっとまた次のステージが待っているのだろうと思います。
今年の四月からツルハシブックスを離れた私は、
同じく「内野駅前ツルハシブックス」にはいないけれども、
ツルハシブックスマインドを持った人たちがあちこちで
「ツルハシブックス的なこと」をしているのを見ました。
長野県の伊那や、大阪や、東京の上石神井。
卒業したサムライの心の中にもありました。
それを見て、「ツルハシブックスはどこでも作れるのかもしれない」と思いました。
もはやツルハシブックスは場所の名前ではないのかもしれません。
私も私のツルハシブックスをまたどこかで作れたらいいなぁ。
そう思う人はサムライの中にも劇団員の中にもいるはずで、
私はツルハシブックスがあちこちにできている未来を想像してにやにやしています。
私が運営に関わっていた1年間は、「みんなでつくる」ツルハシブックスで本当に良かった、となんども思うほどに
皆さんの力を借りていましたね〜。
チームツルハシブックスのみなさん(たぶん思い浮かぶ顔は50人以上笑)、ありがとうございました!
休学してツルハシブックスにもらったものは確実にこれから私がやっていくことに生きていて、
人生という旅の途中で偶然ツルハシブックスに出会えたことに本当に感謝しています。
これからもよろしくお願いします。
***
ツルハシブックスは、大きなイベントを成し遂げたわけでも、たくさん稼いだわけでも、めちゃめちゃ有名なわけでもないけれど、
確実にいろんなものを生み出しています。
それは、いつ生み出しているのかというと、たぶん日常の中なのです。
ツルハシブックスのすごさは、日常にあり、です。
だから、ぜひ閉店前にもツルハシブックスに実際に来てほしいし、
閉店後も見守っていてほしいなぁ。
いつまでも、偶然を届ける本屋で、学びを届ける本屋で、居場所を届ける本屋です。
目を凝らすと、ツルハシブックスはその道の先にあるかもしれない。
あなたの隣にあるかもしれない。
そんな人生、楽しみだ。
なんかブログっぽくなかった(笑)