おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

小さな自分と創造すること

今年は梅雨が長いな~涼しい夏だな~と思って7月を超えたら、うだるような暑さが待っていました。

季節の変わり目と言われる土用に、まさにどかんと暑くなり、1日ばかり体調不良に。

ただ、今年は初めて梅干しを干せた!これはとっても満足。

そして、7月最後の週末にはさくらちゃんと一緒に、愛梨ちゃんとその息子君に会いに行けたのも最高でした。

 

さて、前から書きたかった話を。

だいぶ前に、「料理をすると精神状態がよくなる」という話を書いた。

坂口恭平が「cook」という本の中でも言っている。料理が鬱に効く、という話。

最近も、疲れた時に簡単でいいから家でごはんつくって食べると回復していたので、ますます実感していたのだけど、

それ以外にも同じように、少しだけ精神が健康的になる行動はいくつかあって、その共通点があるんじゃないかな、と思ったのだ。

 

精神が健康的になる、というのは、ただ疲れや辛さや寂しさを埋める・癒すことではなくて、自分の中にエネルギーや力のかたまりができてくるような感覚のこと。

こういうことができればこれから生きていけそうだなあ、と思うような感覚のことだ。

 

料理の他には、例えば畑仕事。草取り。

あと、映画や演劇。美術館に行くこともそうかも。

 

この辺の行動の共通点、それは「自分がすべて生み出すわけではない創造」なのではないだろうか。

材料がたまたま目の前にある、きっかけが向こうから差し出される、その上で自分が能動的に手を動かして何かを創造する。

全部を自分が計画したり、作ったりするわけでない行為。

畑や料理は確かにそうだけど、映画を見ることは創造なのか?と思うかもしれない。

けれどこれが結構、創造的行為だと思う。

特に、すべてを説明しすぎない、見る側の視点や思考があって初めて完成するような映画はたくさんあって、そういう映画を見るときって意外と能動的なのだ。

(だからそういう映画が好きなのかもしれない。わかりやすいセリフやキャラの映画はたまにでいいな)

 

 

なんで、「自分がすべて生み出すわけではない創造」が精神を健康的にするのだろう。

これは、さらにもう一つの別の考え方?に基づいて推測するのだけど、

「自分が大きすぎないこと」が鍵なんじゃないかと思うのだ。

 

自分の意思を尊重しよう。自分の個性を活かそう。自分の感覚を大事にしよう。

とよく言われるけれど、

じゃあ「自分ってなんだ?」と考え始めると、意外と行き詰まる。というかそれを考えること自体が辛かったりする。

自分の中へ中へ矢印を向けすぎると、他人と比べてしまうこともあるし、答えが見つからないで焦ってしまうこともあるけれど、本当に焦る必要なんてない。

自分ではなくて目の前にあるものに矢印を向けること。それをきっかけに手を動かしてみること。身体で感じること。

やってみてから、その時の私がどうなったか、心地いいかそうでもないか、それを考えてみればいい。

その状態は、やっぱり精神が健康的になっていっている気がする。

 

他人と違う自分を見つけようとしすぎないこと。

ただここにいる自分が、まわりの環境と目の前のものをきっかけに作り出したものを信じていくこと。

 

日々のことに関しても、長期的なことに関しても、そういうふうに生きていきたいと思う。

 

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