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おかかとこんぶ

東京と新潟を行ったり来たり。読んで、食べて、話して生きる日々と考えたこと。23歳。

卒論



ついについに…

昨日、卒論を提出しました!!やったー!

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合格かどうかはまだ分からないので卒業確定とはまだ言えないですが、ここ数ヶ月をかけてやってきた卒論を終えられたことにまずやったー!です。

そんでもって、
卒論の考察とか謝辞とかには書ききれなかった卒論への思いというか言い訳というかしゃべりたいことをここに書こうと思います〜


卒論について研究室の先生が話がされて、テーマを考えなさいと言われたのは、たしか6月の末くらい。
就活第一期が終わったかなー、くらいの時。

私はその時、卒論というものがわからなかった。
そりゃ、あの毎年先輩がひいひい言いながらやっていて、好きなテーマについて仮説立てて調査して実証する論文で、学生生活の集大成的な存在で…とかそういうことは分かります。

でも、卒論を何のために書くのかとか、それをどんなスタンスで決めるのが良いのかとか…どうやって作り上げていくのかとか…そういうのがわからなかった。
そういうのがイメージとして迫らないとスイッチが入りにくい性格です。

でも2回目だったかの卒論ゼミで皆が自分のやりたいテーマを発表していっていた時に
先生が
「あなたは何をしたいの?何を明らかにして誰を喜ばせたいの?」
ってそれぞれと話しながら聞いているのを見て、
ああ、卒論ってのはプロジェクトのようなものなのかもしれない、と思った。

少なくともうちの研究室においてはね。

最初、食文化や大学生の地域との関わりをテーマにしようとしていた私は、
卒論をプロジェクトだとするなら、やっぱり新潟で私がやってきたことについて書こう、と思いました。


そこで先生に提案された卒論の書き方は、今まで見てきた先輩たちの卒論とは違ったものでした。

仮説を立てずにまずはルポ風に全てを記録する。記録が終わった時に見えてきたものを考察しよう。

へ?と思ったけどなんだかしっくりきたような気がしました。

その形式でやり終えて思うのは…仮説を立てて事例を調査して考察する、普通の論文の方が、圧倒的にかっこいいです。笑

一から十まですーっと理論の軸がつくれるような、図式化できるような、そういう論文の方がかっこいいし、
それはそれでやってみたかったけど、
私がコメタクとツルハシブックスをしていた1年半のことを書くなら、それは無理でした。

それは、自分が圧倒的に当事者だったから。

当事者だった私が論文に強みとして出すものは「詳細さ」であることと
当事者だった故に主観で書いた記録がなければ客観的な考察なんてできなかったこと、このふたつの理由でしょうかね。
このアクションリサーチ的な書き方が合ってる理由は。
と書き終えて思います


本当に当事者であることは論文を書く上では面倒臭いことでした。


ただ記録をすることにたまらなくなって考察・意味づけをしだそうとすると、

「こういう基準で評価したくない」
とか
「このためにやってたわけじゃない」
とか
「こんなこと書いてこの人喜ぶかな」
とか…
もう、感情がジャマ!!!


でも、本当に卒論やってよかった。

卒論が「プロジェクト」なんだと理解した時に、私は卒論は「手段」だから、それによってやりたいことをやろうと思っていました。

私のやりたかったことは3つ。

・深く関わってきた人たちとコメタクやツルハシブックスについて、じっくり話がしたい。
・私の中でコメタクとツルハシブックスのまとめをしたい。振り返りたい。
・コメタクとツルハシブックスの記録から生み出される考察を見てみたい。それを小田切先生と共有したい。

特に、一つ目がすごくすごくやりたかったことなので、
10〜12月は新潟にいる間、たくさん話を聞きました。
合計で18人くらいに聞いたかな。
1人1〜2時間ずつ。

これが、最高に良かった。
卒論には入れきれなかったけど、
コメタクとかツルハシブックス以前に、
その人の人生の話が面白くてたまらなかった。

人生の話と言っても、生い立ちからとは限らないし、
転機となった体験の話を断片的にしてもらった感じかな。

とにかく幸せでした、なんだか。
別にいい話ばかりでもないし褒められてるわけでもないのだけど、
人が自分自身に問いかけながら話をしている時の、本当の言葉を浴びてるのが、好きだ。

あとは、その人と私との関係性があるからだろうな。
聞いた人みんな去年かなりお世話になった人たちばっかだったから。

今私のiPhoneはボイスデータでパンパンなんですが、
これが私にとって価値あるものすぎて消せない。笑

卒論とは関係なく、いつか何かの形で世に出したい勢いです笑

そうして書いた私の卒論は、
「実践記録編」として書いたコメタクとツルハシの今まで、飯塚さん大口さんのインタビューと、
「理論編」として書いた考察の
二部構成になりました。

実践記録編はねえ、もう、ただのエッセイ。
だから、第二部の理論編で全く使われてない部分もたくさん書いています。
なんと、実践記録編だけでワード30ページ。笑

何もかもが直接的に今つながるとは限らないからね。

ありのままの過程が、価値だと思うから。

そして、「私の目から見た」というのも。

まあ、10年後くらいに読んで恥ずかしくてくぁあってなるくらいでいいんじゃないでしょうか。(笑)

この数ヶ月幸せな時間を過ごせたので、それで卒論の目的いっこ達成してるし、満足。

本当にみなさんに感謝です。
ありがとうございました。
卒論にも謝辞書きすぎました(笑)

さて、次は2017年にやりたいことリストを書くか!!


きっと今年も生きていける。

1月1日、ことばのちから

2017年、明けました。

いつになく気力がない元旦です。

卒論を30分に1回休憩を入れながらつらつらやってます。


おせち料理は美味しかったし、いつも通り家族全員が健康でお正月を迎えられたことだけでも幸せなんだけれども。

なんだろう、なんとなく覇気がない。


まぁ、単に家にいるのが肩身が狭いだけか。

親の期待を裏切るとこういう風になるのか。ちょっと新鮮。弟の気持ちがちょっぴり分かる。


Facebookを開いても、読みたい!と思える年始の挨拶は案外少なくて、すぐに閉じてしまった。


Facebook上の人間関係では結局満たされない。今日一番気分が高揚したのは、手書きの年賀状のメッセージだった。


でもなんだろう。最近何人かのブログはとても読みたくなるんだよね。


それは、Facebookの投稿が(特に年始のような節目の時には)「みんな」に向けているから似たような感じの、のっぺりとした色がない文章になってしまっていて、

それはそれで「私はこうしてますよ」報告っていう役割があるから面白い必要はないしそこまでその人に興味がないっていうだけなんだけど、


何人かのブログはそれと違うからだった。

「リアルさ」かもしれない。それらが持っているのが。

抽象的な話にも具体的な話にも

「リアルさ」があるとおもしろくてなんだか救われた気がしたり元気になる気がしたりして気がつくと読んでしまう。


文章っておもしろい。

ますます最近思うようになったし、2016年とても興味が湧いたことのひとつだった。



読むのも、書くのもおもしろい。



140字のツイートからブログ、

本だと小説、詩集、絵本、新書どれも

良いタイミングで出会うとすごい力を発揮する。

しばらく頭の中がぐるぐるして、いてもたってもいられないほどわくわくしたり、誰かに会いたくなったり、何かをしたくなったり、どん底から起き上がれた気がしたり、

人にこんな気分を与えるって、本当に言葉はすごい。


逆に自分が書いたことで、読んでよかったとか救われたとかの反応が来たこともあって、

それはもうすごく嬉しい。


自分の書いたつたない文章をあとで読み返すのも好きだ。

今までは意識もしたことなかったけど、小学生からずっとつけている日記を読むのがそういえば好きだった。


2016年は、

言葉以外にもたくさんたくさん伝わる手段があってそれにもものすごく興味を持っていたんだけど、


単純にことばのちからの大きさに救われた年だったような気もする。


言葉は人を傷つける時にすごくフォーカスされてしまうし力も強いんだけど、


救う力の方ももっと注目してあげよう。


なんだか抱負なのか振り返りなのかわからなくなってしまった。


相変わらず気力はないし、家族と一緒に初詣に行かなかったのも少し後悔している。まだ年を越してから外に出ていない自分に嫌気もさしている。


けど、言葉を書いたら少しだけ




元気になった気もする。

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誕生日メッセージ

大晦日は、気分が乗ったので掃除をしている。
母親とはまだぎこちないけれど、生活は続く。

部屋の掃除してたら、出てきた、小学校時代の誕生日メッセージ。たしか小4。

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クラスで書かなきゃいけなかったのかな?全員描いてた。でもこれ大変だねみんなにやるの。


部屋に紙が多すぎるので、これも捨てることにしました。

最後に、面白かったメッセージだけ紹介して。

そしたら、思い出にもきっと残るよね。


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「」の意味はなんだ


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けっこうか…

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突っ込みどころ満載(笑)頭いい人が10才になるべきってどういうこと(笑)ポーレチケの日ってなんだ(笑)



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うーむ。下の色鉛筆のもにゃもにゃが気になる。ちなみにクラスで一番もててた気がするこの子


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なんか頑張って書いてくれた感じは嬉しい。ごめんでも、かがくの博士にはたぶんならない。かがく書けないけど博士書けるんだね。

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最後はちょっと悲しいきもちになるこちらの手紙。この子はあんまり友達がいなかったな。この子が学校じゃなくてもいいから自分の居場所を持っていてくれていたことを願う。「それで10才になったんだね」の「それで」が好きです。



小学校時代に書いたものだけじゃなくて、ちょっと自分が忘れてるくらいの過去に書いたものや写真は、いい。


その瞬間の何かを閉じ込めているから。


それは、今の自分だけじゃ思い出せないもので、

その期間が何のためにあったのかなんて思わなくていいもので。


その瞬間は、その瞬間のためにあったんだ。


と思える何かがある。



だから好きだ。












親のきもち

やってしまった、と言う感じ。

親とこんなに険悪ムードなのは、2年前の休学の話の時以来か、いや人生で初めてかもしれない。

少なくとも最近は覚えがない。


進路を変えたことを「報告」した。

「相談」じゃなく「報告」したのは、自分の身を守る為だと思っていた。

途中を見せるといろいろ言われてしんどくなる、だから自分の中で完成してから言おうと言うのは、実家にいながら就活をした時の教訓でもあった。


でも、本当に大切な人からの相談なしの報告はしんどいということも心の底で私は知っている。


だから、今回も怖がらずに相談すればよかったのかもしれない。

違和感を持った時点で、反対意見が飛び出ることも覚悟で。

それが本当の誠意だったのかもしれない。

その上で進路を変えれば少しはマシだったのかもしれない。


傲慢だ、と言われた。

なんのために育ててきたのよ、とも言われた。

手も飛んできた。


どんなに正直にちゃんと言葉を返そうとしても、全部否定されてしまうから、コミュニケーション方法が分からなかった。

議論できないのは悲しかった。


けれど、分かる。お母さんの立場に立ったら、想像してみたら、やりきれないのもわかる。


東京で生まれて優秀な人たちを見てきて、少し劣等感も持ちながらでも幸せな結婚と出産をして。そして20年間子育てをしてきた。

子育てっていうのは、一言で言われるけど本当にたくさんの過程がある。

たくさんの悩みがある。やりたいことも、やらなきゃいけないこともたくさんある。乗り越えなきゃいけない山がある。

成績、友達関係、部活、受験、引っ越し、大学の学費、習い事、留学、塾、、

いろーんなことに、いろーんな私のためのことに、お母さんは神経を割いて来たのだった。


私はこの全部でお母さんの助けを得ている。自分がやったような気になっているけれど。

だから、お母さんは自分が最後の、子育てが終わる直前の最後の決断に関与できなかったことが悲しかったんだろう。


進路を変えなければよかったとは思わない。でも、例え時間がなかったとしても、相談はしてあげてもよかったかもしれない、とここまで書いて思った。


ごめんなさいお母さん。


けんかは嫌いだ。できればこんな思い二度としたくない。

だから、一刻も早くお互いが嫌な気分なのを治したい。

ああ、親相手だと全然良いアイデアが浮かばない。



結局、親がこんなに一生懸命に私を育ててきた時点で、そしてある程度私がそれに答えられている時点で、私は親の望まない道を選べる身分ではないのだ。

選んでしまったけれど。


私は子供を、良い意味であんまり一生懸命に育てないようにしようかと思うくらいだ。



まあでも

親の言ってることの中には分からないことがいくつもある。


例えば、「普通」は我慢して数年頑張ってるから、「みんな」苦しい「もんだ」から、

まずは新卒は企業で働かなきゃいけない、という理屈。


楽しくてわくわくする方へ行くことへの全否定。


そういう考え方もあるね、で他人だったらすむけれど、すまないのが親だ。


私もそんな意固地に自分の意見を貫いて同意してもらおうとは思わないから、

せめてもう声を荒げないで、

優しく毎日を過ごしたいと願うばかりの年末でした。


(でもなぜか私もすぐ涙が出て感情的になっちゃうんだけどね…)



だから進路を変えました

 

東京も、寒さが本格的になってきました。ガスストーブで必死に部屋を暖めながらこれを書いています。

「今は何をしてるの?」と聞かれたときに

「卒論です」と言えるものがあるのって、すごく便利。だって、授業もないし、かといって卒論に費やしている時間なんて実際には1日に3時間もないと思う。

好きなことをして、過ごしている。要は。

好きな時間に人と会って、イベントに行って、イベントをやって、買い物に行って、本を読んで、ケータイいじって、楽しい妄想をして…

1日2回の犬の散歩が唯一「時間の決まっているやらなければいけないこと」だなんて、なんてゆるい生活(笑)

 

そんな私ですが、実はこの2週間くらいは心の忙しい時期でした。

卒業後の進路を、変えたのです。簡単に言うと。

そりゃあ、忙しいよね。

今思うと、6月に内定をもらっていたところに行こうと思っていたのは、卒論と同じく

「来年からどうするの?」と聞かれたときに

「○○で働きます」と言うためだったんだろう。

精神安定剤&親との関係維持剤。もちろん、実際に来年からそこに行くことになってもそれなりに満足して、納得して仕事ができるような会社ではあったから、本気で行くつもりだった。行くものだとも思っていた。

 

でもいつもそうなように、私は半年後くらいまでしか、自分の強い「これからこうなっていたい!」がイメージできない。というか具体的に出てこない。

今回も「ん、なんかこれは…違うかも」という信号が頭の中で光り始めたときは、働き始める4月まで半年を切ったときだった。

 

私は「自然でいること」が好きだ。

3日前くらいにある友達と朝からコーヒー屋さんで3時間もしゃべったときに、「自分をあらわす言葉、そうでありたいというものはなに?」と聞かれて、少し悩んでそう答えた。

ネイチャーの自然ではなくて、ナチュラリーの自然。(ネイチャーの自然も好きだけどね)

人への接し方やすべてにおいて自然でいたいなあと思っているのだけど、その中には、

 

身近にあるものを肯定して、好きでいて、何かを選ぶときは自分の今置かれた環境に抗うのでなくて、自然にやってくるものの中から選んでいく。

 

というのも含まれている。

だから、ほんとは「休学」っていうのもあんまり好きじゃなかった。手段として使った事実は仕方ないけど、なんか、自然じゃないよね。

あんまりふり幅を大きく動きたくはないんだろうなあ、段差の低い階段をのぼっていきたいというか、近い点をたどっていきたいというか。

だから今、進路を変えるのに関しては、「なんかここで変えるって不自然じゃない?」という自分もいる。

でもたぶん、この先しばらく働いて「やめる」のもそのときは不自然なんだ。

だから、その「不自然」は世間から見て、なのかもしれない。自分にとっては自然なのだ。たぶん。

 

なんで1,2年待てないの?

の答えは、見つかっていない。たぶんここは言語化できなくていい。

だって、理性の自分は、「とりあえず1,2年今内定もらってるところで仕事して成長してから辞めるなりなんなりしてやりたいことやればいいじゃん」と言っているから。

私も「いや、最初はちょっと農業関係の出版社で働いていまして…」と言っている5年後の自分が容易に想像できるし、その方がちょっとかっこいい。

 

来年、いや数か月後、したくなってしまったのだった。私の暮らしを。

その暮らしを実現するための仕事を探そう、そう思った。

場所じゃなかったから、東京でもよかったけど、思い浮かんだのは、新潟の人でした。

この人のそばだったら働きたいなあ、という人が新潟には何人かいたのです。

それで、相談してみた。そしたら、なんとたぶん私のしたい暮らしを実現できる職がありました。正確には、作ってもらった、だけど(笑)

 

野望がないわけじゃない。というか、アウトローを行きたいわけじゃないというか。たぶん私は、面白さだけで生きていたいわけではない。面白いことはとても大事だけど。

世の中の過半数の人に支持される価値観や、多くの人がしている生き方、考え方、とはコミュニケーションをとっていたい。

その手段はまだわからないけれど。文章で伝えることなのか、存在の大きな組織とかかわることなのか、はたまた大学院に行ったりすることなのか、単にそういう知り合いたちと対話し続けることなのか。

 

福祉と教育を地域の自然なコミュニケーションの中でやる仕組みを作りたいっていう夢がある。

すべての目的は、いまここに存在している人が幸せであること、だとしたらたぶんこれをやらなければいけないなあと思っている。

 

たぶん、小さくても、できる。「規模が小さい」ことを肯定しただけでいろんなことが実現できるのに、どうしてみんなまだ規模が大きいことを目指しているのかわからない。

だけど生活のために必要なお金はほしいから、お金で困るのは嫌だから、

でもその規模感と仕事をしてもらえるお金の数値的な感覚が私の中にはまだないから、

まだ結果が出るかわからないような、小さいけどやってみたいことは

仕事の時間以外でやりたい。

 

だから、進路を変えました。

 

 

(まとまりがないけど書きたいことを書いた)

 

 

 

 

住みたいまち

東京に帰ってきて1週間がたち、卒論を書きつつも会いたい人には会い、行きたいところには行って、楽しんでいる井上です。

さて、土日に「千住・紙ものフェス」というイベントのお手伝いをしてきました。

前から何度かお世話になっている、1人で出版社とブックカフェをやっているとても尊敬している方に誘われたのがきっかけです。

北千住を中心とした町の、様々な活動をしている人、お店、会社が集まって「紙」というキーワードのもと人のぬくもりを感じられるような場を作ろう、と企画されたイベント。

私は事前会議の1回と当日の店番としてしか関われませんでしたが、それでもこのイベントとこの町にいる人たちのぬくもりは十分感じることができました。

2日間一緒に店番をしていたのは、いつもブックカフェ「SENJU PLACE」でお手伝いをしていて、近くの大学に通っている2年生の稲田君。

このフェス自体の企画・運営・総括をSENJUPLACEの吉満さんがやっているので、稲田君もだいぶ準備からお手伝いをしていた様子で、運営委員のメンバーは皆彼のことをとても慕っていました。

運営委員でなくても、来るお客さんは皆北千住に住んでいたり沿線に住んでいる方で、ブックカフェで出会ったこともあったのか、「お久しぶりです」「あら、今日はここでやってるのね!」という会話もしばしば。

そんな稲田君の表情がすごくよくて、稲田君を見る大人たちの目もすごく良くて、ああ、こういう関係性って本当に良いなあとつくづく思ってしまいました。

東京にも、地方にも、いろんな意味で「ひとり」暮らしの人がけっこういると思います。

もちろん「一人で住んでいる」という意味に加えて、家のまわりに顔見知りがいない、会いに行く人がいない、ということ。会社や学校のまわり、そこに行くまでの途中になじみの顔がないこと。

もっと言えば、毎日の食、身に着けるもの、暮らしの中で使うもの、休日の趣味の中に、だ誰かの顔が浮かばないこと。

そういう「ひとり」暮らしはけっこう寂しいんじゃないかと思うのです。気づいてないかもしれないし、別にあえて言わなくてもいいと思ってるかもしれないけど。寂しいと認めてもよいと思うのです。

特に、大学生には、自分の住んでいる町で「ひとり」で暮らしてもらいたくない。

「人と関わる」ことが大事なら、サークルや学生団体でいいかもしれない。でも年齢も背景もばらばらな人とはなかなか会えない。

「多様な人と会う」ことが大事なら、社会人のいるテーマ別のコミュニティ、例えば音楽とか芸術とかダンスとかスポーツとか、様々な分野で行われているイベントとか、そういうところでもいいかもしれない。何も住んでいる町で知り合いを作らなくたって。

でも、そういうコミュニティに属せる大学生は何かを持ってる大学生だ。「わたし、○○やってます」がないとなかなかそういうコミュニティで居心地よくなるのは難しい。

なんで住んでいる町が良いかというと…「私、この辺に住んでます」だけでいいからだ。

そこに住んでいるというだけで肯定される。共有できるものがある。

もちろん本人の人柄は関係しているけれども。

そう、大学生は「そこにいる」だけで褒められて、肯定されることが大切なんだ。

そして、「大学生」というかたまりじゃなくて、「○○くん」「一人の人」として向き合ってくれる誰かが必要なんだ。

それは、「暮らし」の中でより生まれやすいと思う。

どうしてもそっちが大事だと思ってしまいます。

自己紹介で言う自分が何者なのかということ、「大学生」や「社会人」や「○○関係の仕事してます」に関することよりも、それ以外のことを大事に思ってしまいます。

ライフワークバランスの「ライフ」と「ワーク」で言ったら「ライフ」の方。

仕事と暮らしで言ったら、暮らしの方。

大学生は「大学」が「仕事場」だけど、暮らしをおざなりにしてもらいたくないです。

定期的に行けるところにひとつ「会いに行きたい町」「会いに行きたい店」「会いに行きたい人」を作ってもらいたい。

欲を言えば、そこでイベントのお手伝いや中高生に出会いを届ける本屋や(笑)、何か自分の好きなことで誰かを喜ばせる活動をひとつやってもらいたい。

そこで目の前の人が喜ぶ、という経験をしてもらいたい。

きっとそれだけで、人生を豊かにする大事なことがいくつもわかると思う。

自分の感性を信じられるようになると思う。

北千住も、住みたいまちのひとつに加わりました。

先日は武蔵新城の本屋プロジェクト会議でも、武蔵新城のすてきな商店街と何人かの信頼できそうな人に出会って、

東京と東京近辺の好きなまち、おすすめしたいまちが増えていて楽しいです。

もう少し、言語化したいなあ。ここらへんのこと。住みたいまちに住む価値を。

 内野もだ。

びりびり。

2016年10月24日のブログ*

 

秋晴れが続く、新潟。

卒論の調査を危なっかしくやりながら、内野で日々を過ごしています。

パーティでやりきったあと、なぜかちょっと頭が回らなくて落ち込む日が続き、立ち直ってきたある日。

さくらちゃんがこの夏関わっていたプロジェクトの集大成を見に行ってきました。

「障がい・アート・ミーティング~彼の描くセーラームーンの面白みは伝わるか~」

障がいを持った方の何かしらの「表現」を最初に見つけて、磨いたり寄り添ったりしながら「作品」にしていくのは、その人の周りの人、家族や施設のひとたち。

その人たち向けにワークショップを重ね、今回「ミーティング」という設定?の展示までにいたるとのこと。

このワークショップを運営しているのが、さくらちゃんと、公民館の活動などでお世話になっているKさん、そして私がひそかにファンであるこちらもまたKさんの3人なので、ちょくちょくどんなことをやるかやどんなことで大変なのかを聞いてはいました。

その内容がまあ面白そうなので、とてもとても楽しみにしていたわけです。

まあ、そして、期待はまったく裏切られませんでした。

 

あえてここで展示の内容を細かくは書きません。

でもちょっと、私の今の気持ちを書いておこうと思いました。

 

展示を見ている間、私は幸せでたまりませんでした。

すべての作品のうしろに、この形になるまでの過程が見えました。そしてその過程がどれも尊かった。愛しかった。

作った人の、支えた人の、今とこれからを強く、でもぼんやりと想いました。

そしてなぜか

わたしは頭のはしがびりびりしていました。なんだろう、たぶん表現するとしたらびりびり。

このびりびりは、相当なものだぞ、とても久しぶりだという感じがしました。

なんだろう、この感じは。

あ、そうだ。

2年前の夏、隠岐の島の海士町で、地域で活動するのって面白いかも、これってすごく自分のやりたいことかもしれない…!と興奮して思った時のびりびりに似ている。

まだ知らない、だけど強烈に惹かれる世界が、この扉の向こうには広がっていそうだという、直感までもいかない、鼻が動くような感覚。

このびりびりは、1日以上たった今も残っています。

この気持ちをどう行動に乗せたらいいのかわからないし、なにも言語化できていないのだけど、わたしにとってすごく大事な展示になりそうな予感がします。

さくらちゃんがいっぱい背景を話してくれたからだね。

むふむふ。とにかく幸せになった。