おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

自分を消さずに働く

今日は少し、勢いに任せて書きます。なので、あんまり筋が通ってないかも。

そして、いつもの、自分の感性をまさぐるような話ではなくて、少し、じれったい話かも。

実は、この夏のインターンは少ししんどいものがありました。

それこそ勢いでやってきたもののツケがまわってきたというか…

大事にしたかった人たちを辛くさせてしまいました。

やっと関係事項が落ち着いてきて、収束・改善に向かっているところです。

そんな中、今日した話。インターン生と上司と。

 

インターンがらみの仕組みや出来事を説明するのは難しいので書きませんが、たぶんこれはわりとどんな仕事で思い当たる話かも。

組織と組織の間にお金が発生したとき、たいてい組織の人間は「組織の人」としてのふるまいを求めらる。

そこで生まれるやりとり、交渉や契約、実務…人が行うその部分に、「個人」の意見や思想も多少は出てくることもあるかもしれないけれど、それが「組織」とずれている時には絶対に組織の意見の方が優先される。

だって、組織のお金には他にも色々な人や設備が関係しているから。そこには1人だけじゃ負えない責任があるから。

組織だからこそ生み出せているお金をもらって働いている以上、組織の人間として外に出て仕事をするときには、組織の顔でふるまわなくてはならない。

 

すんごく、たぶん、当たり前。

当たり前なんだけど。

 

それが私には辛かった。全然言葉が出てこなかった。

とりあえず相手の気分を害さないようにと投げた言葉は、相手に全く刺さらず、むしろ違和感を強めさせた様だった。

なぜつらいか。それが自分を消すことだからだ。

自分は確かに何かを感じているのに、それに反する形で自分の口や目や手を動かさなければならないからだ。

そういう時間が長くなっていくと、麻痺してきて何も感じなくなる(ある意味順応)か、辛くなって手や口が動かなくなるかのどちらかになっていく。

何も感じなくなるよりかは、辛くなって動かなくなって立ち止まる方が健康的だと思う。

何も感じなくなった人たちは、今度は「自分が何を感じているか」を思い出せなくなっていく。とってもとっても、それは怖い。

 

組織に所属していることが不自由なわけでは、きっとない。

組織の中のふるまいにおいては、私は本当にのびのびできている。自分を消さずに意見を言えている方だと思う。

それは偶然、組織のやっていることや方向性・分野と私が合ったからだと思う。ただただ、運がいい。

組織の中でも、「新人の顔」「○○部としての発言」に押しつぶされて自分を消していたら辛いのかも。

 

色々な顔があることが自分を救っている、という考え方もある。

いや、本当の自分は複数あっていい。けれど、それは自分を消しているわけではない。

Aの顔の自分と、Bの顔の自分は、それぞれの場で違う、でもまぎれもない「自分」を出せているから楽なのだ。

誰かに押し付けられた顔は、窮屈だ。

 

そもそも出したい自分なんていない、という人もいるかもしれない。

いや、でもどんな人も何かしら「感じている」んだ。それが自分。隣の人とは、きっと違う。

「感じたことを言う」ことがどんなにすっきりして、嬉しくなって、可能性に満ちているか。私は何十人ものインターン生を見てきてなんとなく知っている。

感じたことをわりとすぐに言えるようになった人、また言える関係や手段を得た人は、少し生き生きしだす。

それは表現の第一歩で、あなたにしかないものだ。

そういうものを見たり聞いたりするのが私はたまらなく好きで、パワーをもらう。

なので、「自分を消さなければならない」状況からはなるべく遠ざかって欲しいと思うのです。

 

自分は消したくないけれど、目の前のことやまわりの人も大事だから一生懸命戦っている皆さんの味方です、私は。

そして、願わくば自分を消さずに働ける組織が増えて、組織にいるかいないかも自分の状況に合わせて選べるといいなあ、と思います。

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