おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

今すぐ好きな人と空間に囲まれろ。

 

 

人ができていく過程に、興味がある。

できていくというか、人となりが形成されたり、人生が進んでいくにつれて固まっていったりする過程、

肩書とか、何を成し遂げたかじゃなくて、その人からにじみでる人柄や感性や空気感(価値観もかな…)のようなものが何によってできていくのかに、興味がある。

 

それは、肩書や何を成し遂げたか、何を成し遂げたいか以外の人の情報を大事にしているからかもしれない。

実際、それ以外のことを見た方が、その人のことが分かるし、自分と合うかどうかも分かる。

じゃあそういうものって何で形成されるのだろう。

 

今のところの答えは、「どんな時間を過ごしたか」だと思っている。

正確に言えば、何に囲まれていたか(触れていたか)だ。

 

「将来したいことはなにか」という質問をされることは多い。

学校ではそれを聞かれて、あたかも「将来したいこと」が「人生を決める」かのようにうんうんと唸って私たちは考えた。

 

人を助けたいなら、医者や看護師や自衛隊

食べ物を作りたいなら農家?

人を育てたいなら先生?

 

もちろん時代とともに働き方も職業の種類も変わってきているから、「進路選択の時に決めた職業」をずっとやるとは限らないけれど、そういう話ではない。

 

大事なのは、「何をするか(したいか)」ではなく、「何に囲まれるか」ではないか?という話。

 

大学によって学生の性格やタイプが違う、というのはよくある話というか、皆実感している話だ。

細かく見れば怠惰な人も優秀な人もどの大学にもいるだろうけれど、

なんというか言語化できない、雰囲気。性格や積極性、内発性、派手さ、好きなモノの趣向などは、「この大学にはこういう人が多い」という傾向がある。

 

あれはなんでなんだろうか。

答えは結構簡単だ。

「そこで長く時間を過ごしているから」

1年生の時には少なくとも週4,5日、それ以降も1年に何十日も大学で彼らは時間を過ごす。

そこで皆が触れているのは、その大学の色をもった「ヒト」と「空間」だ。

どうしても、染まっていく。

どうしても、まとっていく。

 

そのときにはわからないかもしれないけれど、卒業して何年かして、自分の中にたしかにあの大学で過ごした4年間が今の自分に少しは影響を与えていることがわかる。

 

同じことが、仕事や、家族や、家や、日々の小さなことにも言えるのではないかと思っている。だから、言いたいのです。

 

好きな人と空間に囲まれろ。それも、できるだけ早く。多く。

好きかどうかはわからなくてもいい、でも自分にとって良いと思うものに「囲まれ」ろ。

 

毎日はあっという間に過ぎていく。

ほとんどの時間を「移動」や「会議」や「作業」や「食事」や「睡眠」に奪われながら、過ぎていく。

その時間を「誰と」「どこで」「何に触れながら」過ごしたか、が

積み重なりながら自分を作っていくのではないだろうか?

 

「やりたいことは5年働いてとりあえずお金を貯めてからする。」

全然否定しない。否定しないけれど、「その5年であなたはできていくよ」とも思う。

だからただ自分の体を自分の好きではない空間に置く時間にはしないで、と。

 

 

 <途中>