おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

夏のインターンを終えて

ひゃーふー。うー。

やっと、2018年夏のイナカレッジインターンが終わりました…

イナカレッジインターンとは、1カ月間大学生などのインターン生が地域に住み込み、

感じたものや集めたものをアウトプットする滞在型のプログラム。

今回わたしは、新潟県内8プロジェクトの大学生の募集や調整と、その中の2プロジェクトの伴走を担当しました。

地域で言うと、柏崎市岩之入集落と、出雲崎町釜谷集落。

はっきり言って大学生がいる期間の仕事は、ほぼ事務所でパソコン作業をすることのない、ひたすら駆け回る日々です。

何か必要となれば買いに行き、毎週ミーティングをし、明日の予定に車を出してほしいと言われれば出し、地域の人と電話し、インターン生からの日報を返信し…

それはそれは体力を使いますが、

初めて田舎で1か月限定の村民として暮らす大学生たちの驚きや感動は毎日大きく、

それを日報やミーティングで毎日知れるのは本当に幸せです。

地域の人もみるみるお父さんお母さんみたいになっていくし、

たった1か月だけどたくさんの変化があります。小さなことから大きなことまで。

 

今回はしかも、初めて受け入れる地域が多く、私もまだ地域のことをそこまで知らない状態からのスタート。

かつ、役場の予算を使った事業でもあるので、そことの調整や共有も欠かせない中での運営でした。

という仕事みたいな紹介はどうでもいいのですが、導入ということで。

ひとしきり走りきって、今ぼんやり思うことを書いておきます。

 

私にとって新しく、ちょっと大きめの気づきだったことがあります。

 

出雲崎釜谷地域に、まきちゃんという大学3年生が参加していました。

東京育ち、サークル未所属、大学は実家通い。

実は私とゼミが同じで、先生を通じて会ったのですが、なんとなく良い子そう!と思って誘ったら思い切って来てくれた、そんなまきちゃん。

 

「いつからいつまで参加できる?」

「夏休みずっと空いてるのでいつでも」

大学生にはこんなふうに予定をいつも聞くのですが、夏休みずっと空いていると答える子は少ないです。最近は(?)就活のためのインターンも、大学が用意しているプログラムも本当に増えている上、バイトもサークルも部活もやっていない子の方が少ないので、夏休みはそことの調整がいつも大変。

ですがまきちゃんは本人曰く「あんまり外に出ない、家に居る」そうで、すんなりイナカレッジに来てくれたのでした。

あんまり外に出ないまきちゃんにとっては大きな一歩だったのかなとも思います。

 

そんな「1カ月も家にいないなんて初めて」というまきちゃんが、驚くべきセンスと感受性とユーモアで1か月の暮らしもミッションも無事に終えたことが私にはとても嬉しく、そして革命だったのでした。

そのうえ、おばあちゃんたちとは親友みたいな関係になっていました。

集落にはひとりくらい、笑顔向けられたら本当に誰でも幸せになっちゃうようなおばあちゃんがいる気がしていますが、この集落にもまさにいて、そのおばあちゃんと本当の孫みたいな関係になっていました。(朝ご飯届けてもらったり)

 

作った冊子「ふらっと」は、「日常の小さなときめきに気づいて一歩外に出たくなる冊子」としてまきちゃんみたいな子に届ける、本当にすてきなものになっています。(またHP上でも公開しますが)

 

そんなまきちゃんたちを見送る前日かな、グーグルフォトを整理していて、ふと私の4~5年前の写真が出てきました。

大学1,2、3年生。あーこんな活動もしてたっけなー。たくさんの集合写真、東京都内、東京以外の写真。イベントの写真、合宿の写真、留学の写真、○○プログラムの写真…1日、2日のものは今では忘れているものもあるほどです。

きっとそれぞれは私の糧になっているだろうし、そのときはそれで楽しかったからいいのかもしれないけれど、私の目には「あまりに人に会いどこかへ出かけすぎじゃないか」というふうに映りました。

 

毎年たくさんの大学生に会うけれど、どうしても目立ってしまうのはいわゆる「アクティブ」大学生。

学生団体をやったり、イベントに参加したり、ヒッチハイクしたり、誰とでも人見知りせず明るく話せたり…

 

「大学生のうちはたくさん外に出た方がいい」

 

もちろん、それは間違ってないんだけど、それだけじゃないのかもしれない。

それより前になにか大切なものがあるのかもしれない。

 

まきちゃんにとっても、イナカレッジは「外にでた」経験で、たぶんずっと卒業まで外に出てないよりずっとずっと良かったのだけど、

まきちゃんはこっちに来た時点ですでにちゃんと「見るところ」「選ぶところ」に、「自分はこれがいい、なんとなく」と思える軸を持っていた。

だから、ただ「刺激的な農村生活」で終わらなかったし、ちゃんとターゲットをしぼった冊子ができて、良い心の動きを自分の言葉で出せていたんだろう。

 

それと、関連しているのかはわからないけれど、もう一個のチームでは、「ひとりのじかん」の取り方をちゃんと伝えておかなかったために、インターン生たちに少しストレスがたまり混乱するようなことがあった。

 

そう、もしかしたら「人との出会いかた」と同じくらい「どうひとりで居るか」も大事なのではないか。いや言い方としては、「自分という存在とふたり」でいることかな。

「アクティブ」だったわたしが、どこか思い切り自分の感覚を信じられず不安だったのは、それが不十分だったのかもしれない。

SNSで皆が面白そうなことをしていて羨ましいときほど、「私はこれが心地よいからいいんだ」とひとりで居るのは逆にとても難しい。

たぶんそれがまきちゃんはできてたんじゃないかな、となんとなく思っている。

あと本人は「ひねくれてるんで。他の人とおんなじやだなって」と言ってましたが。笑

 

そういう意味ではひねくれ心、大事かも。

私は頑張って無理して外に出ているわけではなくもう呼吸をするみたいに人のいる場に行ってしまうので、タイプもあるだろうけれど、

「誰かに評価されるために」「みんなに羨ましがられるために」動くことはなくなってきた。だいぶ。

それは、忘れていた自分のときめきのツボを思い出したからかもしれない。

すぐにときめきのツボを出してこれるようになったからかもしれない。

 

小学生のとき、無心で本を読んでいた時や、家族旅行の車の中か、どこかで小さい頃「ひとり」をはぐくんでいたのかもしれない。

 

自分の感覚を信じられて、初めて本当に心は開けるのかもしれない。

 

そのときに目の前に地域のお母さんたちがいたら、もうそれだけで幸せだ。

これで私は幸せを感じるんだなあということが分かれば、

もう就活なんて恐れることもない。きっと。

 

 

(久しぶりなので全然まとまらない)

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