暮らし視点が足りない
先日、新潟大学のキャリア担当の方と打ち合わせをした。
今度行われるインターンシップフェアについての話。新潟県内のインターンシップ関係者が事例やノウハウ、動向などを共有するための場だそう。
地域インターンをやっているイナカレッジにもぜひ絡んでほしいとのことだった。まだ内容は仮決定&外部には出していない段階なのであまり言えないが、担当の方と話している時に良い気付きがあった。
イナカレッジのインターンは、たぶん就活前に企業が行うインターンとは違う。
じゃあ、どういう文脈で紹介できるだろうか?という話で、
こういう地方の企業でのインターンの意義として、「地元で就職してもらう」みたいな意図があるけれども、その視点で言うと、
「こんな仕事・企業があるなら新潟にいようかな」
ではなく、イナカレッジだと
「こんな暮らしがあるなら新潟にいようかな」
となると思うのだ。
だから、相対的にはイナカレッジインターンは「暮らしインターン」なんじゃないか。
そんな気づきだった。
数日後、都内で「イナカレッジバー」と称して
大学生何人かとお米を食べながらもやもやや興味ややってみたいことなどについて話した。(恒例の西田卓司プレゼンツですが)
その時に思った以上に「暮らしインターン」というとらえ方の反響は大きかった。
「就活説明会に行っても、その企業に入った時の自分の暮らしは見えてこない」
そうだよね。就職説明会は、給与とか福利厚生とか、仕事内容とか企業のビジョンとかはたくさん聞けるけど、
例えばこの会社の沿線にはこんな町があって、帰りにこんなところも寄れますよとか
この会社の社員さんはこんなふうに生活を楽しんでますよ、というのはなかなか聞けない。
いや、別に仕事さえやりがいがあって自分のキャリアになって給料がよければ別に生活は自分の思い通りにならなくてもいい!という人はいい。
というか、私の今までのまわりの人たちは、そういう人たちばかりだった。
というか、それは親にも先生にも当たり前のこととして対応されてきた。
でも、私はそうは思えなかった。
10年後のキャリアより、1年後の自分の生活に興味があった。
それはでも、休学して新潟にいた1年間で、暮らしを楽しむやり方を覚えたからだった。暮らしを楽しむことがどんなに今の自分を肯定できたりご機嫌にできたりすることにつながるか知ったからだった。
そして、今の自分を自分でご機嫌にできれば、どんな時もわりと幸せに生きていけると気づいたからだった。
それは、今勢いがあっても10年後どうなるか分からない社会の中で自分の生活をなげうって大きな企業に入るより、よっぽど自分にとって「安定」だった。
「暮らしを大切にしている」というと、「自給自足」「手作り」というキーワードが浮かびやすいかもしれない。
梅干し漬けて、畑をやって、縫い物をして、染め物をして、…というような。
もちろんそういう生活の要素も大好きで、とってもとってもやりたいけれど、
今すぐにはできないこともある。
私がいう「暮らし」は、もっとすぐにできること。
別にてづくりじゃなくたって、お金を払ってやる消費活動をちょっと意思をもってやるだけで、ご機嫌な生活は作れる。
喫茶店にいく、銭湯にいく、映画を見る、散歩する、器を買う、本を買う、ワンピースを買う、靴を買う、漬物を買う…
便利なものには頼るというのも、ヒントかもしれない。
あと、それらを一緒に楽しむ友達を持つというのも大事かな。
これくらいの小さなことができるくらいの給料が入れば、勤め先はむしろ「やりがい」「キャリアにつながる」とかじゃなく、「拘束時間長すぎない」「アクセスよい」「人が悪くない」くらいの要素で決めてもいい。
(といいつつ、私は欲張りなのでそれなりに仕事でも燃えたくなってしまうのだけど)
みんなこっちになりなよ!というのではなく、なんというか
この「暮らし視点」がとても少ないということにハッとしている。
特に、「大学生」にこの視点がもっとあってもいいと思う。
「子育て」「結婚」この辺のライフステージになるとみんなこの視点を持ち始めるのに、
大学生時代はそんなにその視点によりそった情報や環境がない。
でも大学生になって初めて一人暮らしをする人が多いのだから、「自分という人間が明日もそれなりに元気に暮らしていく」にはどうしたらいいのかを突き付けられる時期でもあるのだ。
この時期を、自分の好きな暮らしと共に作れるのかどうかというのはとても大きいと思う。
と考えていると、あれあれ、これは3年前にコメタクで言っていたことと同じじゃないか、と思った。笑
コメタクをやって一番暮らしが変わって、その価値を実感しているのは今の私かもしれない。
だから今、より「大学生の暮らし」に寄り添った企画がしたい気持ちが強い。
さて、何をしようかな。
(柏崎の花火。海から上がるのとてもきれい)