おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

「女性としての自分」を考える

25歳になった。

なんだか、24よりもどんっと来る数字だ。20代のどまんなか。もう借り物の顔をした20代ではない感じ。

そんな25歳の誕生日とその前後は、思いがけず「女性としての自分」を考える機会に出くわした。

 

先週、東京の実家に帰った。簡単に誕生日も祝おう、ということで少し早めだけど祝ってもらった。

25になっても家族全員とまではいかなくても両親と妹が祝ってくれるなんて幸せだけれども、今年はいつもの誕生日より母からのプレッシャーが強かった。

「適齢期なんだからね」

うわわー。来ますね。なるべくそちらからは話をそらそうと頑張る自分がいた。

 

結婚もしたいし、恋するのもデートも好きだけれど、一般的に「モテる」タイプの女性像になろうとは全く思わない私。なれない、というのもあるけれど。笑

お母さんは、私にずーーっと言っている。「やせること」「肌をきれいにすること」、最近はそれに「歯の矯正」が加わってきている。

たしかに、そのみっつは今の私に足りないことだし、それらはたしかにきれいな女性になるための一歩ではある。

「きれいになる」ってなんだろうか。

「幸せになる」という話と同じで、「きれいになる」にも人それぞれあるんじゃないだろうか。そのなり方も、たくさんあっていいような気がする。

それを、「きれいになるにはどうしたらいいんだろうね」「そもそもきれいってなによ」から始められたらいいのだけど、「きれいになるにはこうすべき」「きれいとはこういうこと」と最初から決められたような気がするから、母に言われたときに辛いのかもしれない。

 

ああ、きっとそうなんだろうな。書いていて気付いたな。自分にとっての「きれい」を考える前から、なんだか世の中の「きれい」のあり方を見せつけられて、それでどこか劣等感を感じてしまうことってあるような気がしている。

 

母の言葉の何が辛かったのか、実は自分でもよくわからない。でもはっきりと「辛い」と思ったことだけは覚えている。今の自分を否定されているから、そりゃそうなのだけど。

 

そんな東京での時間のあと、誕生日当日に、初めて助産院へ行った。

助産院」と言っても、普通の一軒家だった。新潟市西区にある「みちつき助産院」。

新潟県では1つしかないのだそう。ここを運営しているのが、助産師の更科先生だった。

 

特に妊娠を予定もしていないし、体調が悪いわけでもないけれど、助産師の知り合いが1年くらい前からとてもほしかった。

想えば、小川糸の「つるかめ助産院」を読んだ頃ぐらいからかもしれない。

私がどんなタイプの人かを知っている、体のことを相談できる人がほしいと思った。検索でいくら情報を仕入れられても、その安心感にはかなわないと思った。

 

今回はさくらちゃんが、お台所みかこさんを通じて更科先生と知り合い、会を開いてくれたのだった。出産DVDを見て話す会だった。

 

更科先生は、助産師は英語では「女性の隣にいる人」として訳されると言った。

「まさに!」と思った。なんて素敵な職業だ。

病院で働いている時期もあり、でも病院でできるお産の形は限界があったという。

今、みちつき助産院でのお産は、どれも妊婦さんの気持ちや状態に合わせたお産。

「良いお産」に必要なのは、正確性の高い設備や手順ではなく、より本能的になるために必要なことを整えることだという話が興味深かった。

好きなものをそばに置いたり、好きな体勢で産んだり、好きな人にいてもらったり。

 

ここでもたぶん、大事なのは「自分にとっての」心地良さや気持ち。

改めて「何を感じているのか」をちゃんと自分に聞く重要性を感じる。

分析でも解釈でも意味でもなく、「嬉しい」のか「悲しい」のか「寂しい」のか「気持ちいい」のか。そういう単純なことを。

 

何人かの女子でお菓子を食べながら出産のことやそのほかいろんなことを話すのは楽しかった。こんな場があるなら生きていけそうだと思った。

良い助産院さえあればよっぽど移住したくなるわ!と思った。笑 

 

もう少し、「女性としての自分」を私も考えたいし、私のまわりの女子たちにも一緒に考えてほしいと思った。

それは「女性だから」というものに縛られたくないからこそ、「井上有紀」は「井上有紀」だ!と言いたいからこそのものでもある。

自分の性別のあり方なんて自分で決めなくてどうするんだと思うから。

ただ少し、ふだんの会話や職場や飲み会でふらっとできない話題もあるから、場を作って考えたいかもしれない。

 

 

最後に、大好きなリトルプレスでの大好きな部分がありまして。

 

出産ができるという素晴らしいことも女性は持っているけれど、別に生むことだけが種の生存になっているわけでも、本能なわけでもない。

「自分を大切にする」それも立派な本能で。

それぞれ「自分にとっては」を持ちながら、軽やかに生きれるといいなあ。

 

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