おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

自分が入る余白

やっぱりブログはその日のうちに、熱いうちに書かないとどんどん書きづらくなっていきますね。。

というわけで、今日は今日のことを書きます。

心の琴線に触れるものが日々多くなってきているというか、?が!に変わるスピードが速くなってきているという感じがします。

でもそれはそれで、思考より私の行動の方が追い付いていなくて、「まってまって」っていう感じ。整理って難しい。時間がとれればできるというものでもないし。

思考ぐるぐる、行動ゆっくりだと、「やりたいことができてない」、という気分になりがちですね。よくないよくない。

のんびり、でも一歩ずつちゃんとやろう。最近寒いし。雪も降ったし。

 

今日は、長岡造形大学に行きました。

イナカレッジで考えているプロジェクトの共有を副理事さんにしにいきました。

そこでの話がとても面白かった。

 

長岡造形大は、デザインを広く勉強できる大学です。

実は私の住んでいるシェアハウスにもこの大学の建築の2年生の女の子がいて、

毎日様子を見ているのでなんとなくどんな大学生活なのかは知っていました。

去年見に行った卒展も申し分なく面白くて、イメージとしては、センスのある子たちが多くいて、面白い表現や方法・技術が学べる大学、という感じ。

 

場所は、長岡駅から車で10分、徒歩30分?くらい。数年前に私立から公立になったので、倍率が一気にあがり、県外から来て大学のまわりで一人暮らしをしている学生も多いです。

キャンパスも、きれいに並んだケヤキ並木?に、のびやかな芝生に、コンクリ系のシンプルでスタイリッシュな校舎。

だからこそどこか、今までは自分の中では、少し遠い存在だったというか、そこに自分のお客さんがいる感じはあんまりしなかった。

 

けれど今日は、ここに自分のお客さんがいる気がしました。

そして仲間が見つけられそうな気がしました。

 

デザインを学べる大学と聞くと、

「ああ、才能のある子たちがいるんだな」とか

「もうやりたいことが決まっていて、専門的で、将来もすでに絞っているんだろうな」

と思われがちです。

 

そしてもっというと「デザイン」とは、

「他の人が考え付かないような、かっこいい(美しい・面白い)色や形」

のことだと思われがちです。

 

でもどれもちがうんだなと思いました。

今日の副理事さんのお話や、最近私に相談に来てくれる造形大生の話を聞いてそう思いました。

 

副理事さんによると、デザイン(デザイン思考)には、共感から実装まで6つのステップがあって、実際の色や形を決めるのはその一部でしかなく、そもそもデザインは

人の気持ちや行動を中心に、課題を解決したり新たな価値を提供するものなんだと。

だから、課題を解決する(伝えたい人に伝える)ための手段なんだから、「かっこいいかどうか」「新しいかどうか」で判断されるものではないわけですね。

 

だったらますます、才能うんぬんは関係なくなってくるなと思いました。

だってたぶん、そういう意味でのデザインの力を磨くには、良い人の近くで良い「トライ&エラー」を繰り返すしかないですから。

 

 

最近わたしに相談してくれる大学生のKちゃんは言います、

「建築はいくつかあるやりたいことのうちのひとつでしかなかった」と。

そりゃそうだよね、高校生の時に決めているんだもん。

やりたいことが新たに生まれることだって、変わることだってあります。もちろんわからなくなることだって。

 

でもなんとなく造形大では、

「才能があって大学では授業で技術を学んで、卒業したらデザイン・設計系(大学で学んだ分野の)の仕事につけること」がステータスであり、正解と言われるような気がしているのかも。もしかしたら。

でもそんなの全員じゃなくていい。

そもそも「学び」というのは実際に学ぶまで「何が学べるのかわからな」くていいんだから、

「結果的に」学べたもの・身についたもので、卒業後それを生かして働ければいいんじゃないかな。

 

じゃあ何をしたら、結果的に上で言う「自分の」デザイン(人の気持ちや行動を中心に、課題を解決したり新たな価値を提供するもの)を学べるのかというと、

 

「自分が入る余白を、他者や地域の中に見つけること」

かなあと最近は思っています。

そして、見つけた余白で自分の直感を信じて「トライ&エラー」をすること。

その先で、「自分のお客さん」に出会うこと。

 

余白っていうのは、課題とか困っていることとか、なにか不完全なもの。埋まっていないもの。

自分が入るっていうのは、「あ、これ自分のためにあるのかもしれない」と思ったり「他の人がまだ見つけていないな」「発見してしまった、出会ってしまった」と思ったりすること。

みんな同じ役割の何人もが参加する活動、毎年同じ活動、すでに広まっている&成功している活動、とかではあまりあてはまらない。

 

なぜかそういうところでは、軽そうな大人が軽く言う。「○○ちゃん、やってよ」「とりあえずやってみない?」

トライの機会が勝手にやってくる。わからないうちにやってみると、失敗もする。でも楽しくなってくる。

 

 

その先で、「自分のお客さん」に出会う。

ああこの人に届けたくてやるんだなっていう人に出会う。

そうなるともう、もやもやとしているものがだんだん晴れてくる。

 

こういうシナリオを書いているだけで、「あーこういう子が増えてほしい!!」と思って思って仕方がないわたしは思う。

造形大生が今の私の一番近くのお客かもしれない。と。

 

だってデザインという名の「伝え方」「届け方」ばっかり教わっていて、

「届け先」を持っていない子はきっと多い。

そんなにすぐは「届け先」は見つからなくていいんだけど。「誰に届けたいのか」という問いを持ちつつ、まずは余白を見つけてほしい。

 

 

そしてその余白って、「小さい地域」や「小さい企業」に多い。

新潟は小さい地域(広さではなくて、経済規模とか人口ね)や小さい企業が多いから、私には新潟が「余白パラダイス」に見える。

でも余白を知ることができる人は限られている。地域を知る人と話さずには余白は知れないからだ。

幸運にも、私が就職したところは、地域の余白をたくさん知ることができる。

 

地域を知る人とのつながりが深い上司たちがいるから、情報が入って来る。

各地域にインターン生もいるから、いろんな景色を目の当たりにすることができる。

あとは、タイミングにも身をまかせつつ、いろんな機会を作って、その余白を届けるだけだ。

 

 

「あなたが入る余白」、一緒に探します。

そのために井上有紀の半日「助手席インターン」っていうのをやろうかと思うんですがどうかな。笑

 

 

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