表現の第一歩を一緒にやること
夏休みのインターンが終わりました。
地域で1か月、大学生が暮らしながら、小さな、でも地域の何かが変わるチャレンジをする。
そんなインターン。
今はその1か月を終えてインターンで感じたことや得たことを大学生たちにレポートで書いてもらっている時期です。
インターン自体が終わった時には余裕がなくてまだ感じれなかったことを、レポートを読みながらじわじわ感じています。
いやまあ、インターン中も感じてはいたけれど、こんな風に文章にする暇はなかったので。笑
私が担当していた2地域は、「ムラだより」を作るところと、「地域のギフトセット」を作るところ。
地域の人たちに住人のように日々声をかけられながら、ふりかかってくる無茶ぶりや様々な機会、チームで出る意見や考えに対して、「私はこう感じる」「これをやりたい」をアウトプットする繰り返し。
言葉より文章より、まずは体を使って飛び込んで感じてみたことからアウトプットをひねり出す。
めっちゃ簡単にいうとそんな1か月だと思います。
そんな試行錯誤のみんなの姿を見ていて、ああ私はこの瞬間がいちばん好きなんだと思った瞬間がありました。
それは、大学生が「表現」の一歩目を踏み出した瞬間。
ここでいう「表現」は、他の誰でもない「自分」がやってみたいと感じた「コミュニケーション」を形にすること。
専門ではないけれどずっと好きだった絵を使って祭の雰囲気を記事にすること。
華やかではないけれど、普通の家族のありのままをインタビューしてみること。
形としてわかりやすくはないけれど、あるじいちゃんとのお茶のみの会話を冊子にすること。
どれも、「多くの人に評価されるかどうか」に全く左右されていませんでした。
「自分の感覚を信じて」行動に移したものでした。
本当に素敵なんです。そういう表現って。背景を知らなくても、初めて見たとしてもそう思うと思う。
どうして地域のインターンでこういう表現が生まれるのか、そしてそれをした後の大学生がどうしてこんなに充足感であふれるのか、それはまだ言語化できていません。
でも、確かにこの瞬間のためにやってるのかもしれないと思うのです。
私はこの瞬間に携わりたいんだと、思うのです。
なんでだろう、わたしもそれを踏み出したいからかな。
一歩目が、二歩目三歩目と行くときには、私の役割はあんまりないかなと思うのだけど…
いちばん勇気がいる一歩目に、「いいじゃん、やってみなよ」って無責任に簡単に言ってみたいだけなのかもしれません。
なんの能力もいらない役割ですが(笑)
その一歩目の楽しさを知ってしまったから、
教えずにはいられないだけかもしれません。
そしてその一歩が踏み出せただけで、
その後の日常が変わって見えることも。
大学生が作った冊子の一部