おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

地域とひと

めまぐるしい、8月です。

新潟県の地域で暮らしながらプロジェクトに取り組む夏のインターンも始まって2週間ほど。

私の担当している地域も2か所あり、1週間のうち事務所にいる時間が1日程度という、飛び回る日々です。

 

とても疲れるけれど、インターン生たちが毎日送ってくれる日報が、どれもありのままの言葉で、最高にすてきです。

それを読んでるだけで何度も、やってよかったと思えます。

 

そんな中でちょっと感じたことを。

「これからの地域」について感じたことを。

あくまで、今の私が感じていることです。

 

「地方地域に外から人が入って活動する」ということにおいて、もしくは農村移住の過程において、とても大切にされるのが、「地域に溶け込む」「地域から認められる」ということ。

 

地域に溶け込むために、時にはお酒を飲みかわし、時には草刈りに参加し、時にはお祭りの準備を手伝い、時には…

暮らしのあちこちで、それは出てきます。

地域に溶け込めれば、認められれば、もちろんいいこともきっとたくさんあります。

 

だけど、「地域に溶け込む」は目的ではないと思うのです。外から来た人にとって。

だから、「地域に溶け込まなきゃいけない」わけじゃないと思うのです。

 

地域の人とのコミュニケーションや手伝いごとは、それ自体が楽しいから、もしくはその人たちの役に立ちたいからやるかもしれないし、そういうことを楽しめる人が私は好きだけれど、

集団としての地域に溶け込むために無理にやる必要はないと思う。

 

「地域に溶け込める人」「地域から認められた人」が評価されすぎな気もしている。いや、これまではそれでよかったのかもしれない。

 

「地域への終身雇用」を美とみなしていたら結局それは会社への終身雇用をしていた時代と変わらない気もしている。

 

移住が話題になり始めたころよりもさらに人口が減り、集落維持が深刻な今、「地域に溶け込める人」じゃないと楽しく暮らしていけない地域は、、、なんというか、「生活の場」にはなりえるかもしれないけれど、そこで「一緒になにかやろう」とはならない気がしている。

 

なんだこの、気がしている攻撃。笑

まあでも、確信をもっていえることなんてなんにもない。

というか、言い切ってしまうことからはあんまり何も生まれない。

 

地域で学べることが本当にたくさんあることは事実。

学べるというか、地域にいることで「問いかけられる」ことが本当にたくさんあることは。

幸せってなんだろうとか

お金ってなんだろうとか

私が喜んでほしい人は誰だろうとか

この気持ちは何だろうとか (春にだ)

 

そして、とりあえず自分のやりたいこととか計画してたことは置いておいて、目の前で繰り広げられる偶然で自然な出来事に身をまかせてみることが自分の中のなにかを突破することも確か。

いきなり田んぼに連れていかれたり、漬物を出されまくったりね。

全身で、断ることなく地域から何かを受け取ったら、それを表現するときは、自分の好きでいいと思う。

好きに表現できる地域が、外の人を受け入れてほしい地域だと思う。

 

そんな、感じたままを久しぶりに出してみた日。

やっぱりブログ大事だ、これからも書こう