「瞬間」があればいい
このことをブログに書きたいと思ってからたぶん1週間は経過しているので、言葉の精度が若干下がっている気がしますが書きます。
やっぱり感情があついうちに言葉は出すべきだなあ。なかなか書く時間が取れないんだけどね。
少しもやもやしていたここ最近。仕事でこれからの事業や経営を考える機会が多かったこともあって、ぐるぐるいろんなことを考えていました。
いい仕事ってどんな仕事だろう、とか。
いいプロジェクトってどんなプロジェクトだろう。とか。
何かを「進めるため」の議論がミーティングの9割くらいになったとき、
何かを進めるためではないしむしろそれによって「止まって」しまうかもしれないけれど
何か抽象的なものを「共有するため」の議論を求めてしまうのは、コメタクとツルハシブックスをやっていたからだろうか。笑
だけど限られた時間の中でその議論をすることは私には提案できず、ミーティングが終わった後自分の頭の中でやることになるのです。
「大事にしたいものってなんだったんだっけ?」
っていうのを、「自分の中の自分」とブレストして共有していく感じ。
それを、どこかに行く途中とかごはんを食べながらやってしまいますね。
結局、大事にしたいことは自分とのプレストでもなかなか言葉に落ちず、いくつかそれっぽいものが浮かんでは消え、という感じでした。
ただ、ひとつ確認できたことがあって。
いい仕事ってどんな仕事だろうと考えた時に、
今まで見てきた「これは良いものだ、わたしが作りたいものだ」というものには
いつも「このためにやってたんだ」という「瞬間」があったなあと。
ツルハシブックスに学校で居場所のない高校生がやってきたときや、
コメタクに大学生がふらっとやってきて飯塚さんとお米の話をしてお米を買って帰っていったときなど。
いい仕事ほど「瞬間」に価値を置いていいような気がする。
いい仕事にはいい「瞬間」がたくさんある気がする。
長期的な成果の積み重ねで売り上げ目標を達成するようなことも大事なのかもしれないけれど、
結果的にはその「瞬間」はそれまでのプロセスがあってこそなのだけど…
あ、そっかそう考えると、
単なる「瞬間」じゃなくて、
一人でも強く「やっててよかった」と思えて、でもその瞬間は狙いすぎた瞬間ではなくて目指していたものとは少し違うところから来る瞬間なのか。
あれ、きちんと説明しようとすると難しい。笑
でもふと思ったのです、瞬間でいいんだなあと。
イナカレッジの今の仕事にもたまにそういう瞬間があるから、できている気がする。
(瞬間っては現場にあるかもなあー特に。お客さんと直接コミュニケーションしてるときじゃないと生まれないかも)
そんなことを考えてた次の日に、さくらちゃんから来た誕生日プレゼントのお礼メールにも、瞬間という言葉が書かれていました、さすが。笑
ゆき
(先日の仕事、車とれなくて電車で行った胎内。)