おかかとこんぶ

社会人も長岡生活も1年生。変化し続ける私をとりあえずはことばで残す。そのうちにはことば以外でも残したい。

経験は貸し借りできない



しばらく間があいてしまいました。
引っ越し、シェアハウスづくり(床作り、壁塗り、床磨き、タイル剥がし、荷物運び、買い物)、仕事スタートと、
誰に言ってもわかりやすい「変わり目」の3週間でした。

4,5回は来たことがあるけれど、住むのはもちろん滞在もしたことがない町。
でも、2年前に新潟に来てから積み重ねたいちばん心強いもの「ともだち」が近くに何人もいるおかげで、どこかずっと安心しているんです。生活のほとんど何も整っていないのに。これは不思議な経験でした。

で、仕事が始まりまして。

毎日パソコンに向かうようなルーティーンワークも親が揃えたがるスーツも泊まり込み研修も#同期でインスタに楽しげな飲み会の様子をあげるような同期も立派な入社式も「いついつまでに丸暗記」みたいな資料や参考書もなし。

代わりにこの2週間であったのは、つながりのある地域への挨拶まわりと打ち合わせの同行、企画書や提案書の作成とミーティング。

まわった地域や組織は10ヶ所以上。
すべて車移動で先輩が連れて行ってくれました。

いやはや、とりあえずは一緒に働きたかった人と一緒に居れて嬉しいし楽しいです。
前までは知らなかったその先輩たちの、「経験に基づいた言葉」みたいなものがすごい。太刀打ちできなくて、圧倒的で、嬉しくなる。

やっぱりひとつひとつの工程を「目の当たりにした」ことが大きいんだと分かる。

そこの地域の、組織の、人の、絶好調な時も落ち込んでいる時も何もない時も目の当たりにしているからこそ出てくる言葉がある。

私だって、ちょろっとだけど実際の地域や会議の様子や関わる人たちの表情を目の当たりにしたこの2週間の前と後では全然違うのだから。

前から気づいていたことをもう一回書いている気もするけど、まあ、今感じてることのアーカイブってことで書きますと、

写真とか文章で見聞きしたものじゃなくてナマモノの動きを目の当たりにして、その空間を包む雰囲気や誰かの表情や音やにおいや色をちゃんと感じたものを「経験」と呼ぶとするなら、
自分がした経験に勝るものはないんだなぁと思います。

人の経験を聞いたり見たりすることも大切なことだしその相違にも価値があると思うんだけど、
他人が直接経験した時見た景色を借りることはできないことを頭に置いておくことは大切なのかなと思った。

だからこそ、したい経験は、見たい景色は、自分で取りに行きたい。取りにいける環境の元に自分を置いておきたい。

もしかしたらそれが、それだけが「やってみる」ことへの一歩を踏み出させるのかもしれない。

シェアハウスづくりのDIYだって、あれをやったから、あの時直接見た景色があるから、これからできることや語れることが増えるんだろうなと思います。



どんな景色が見たいですか。
それをやった後の景色が見たいですか。

何か迷ってる時はこう自分に聞いてみるのもありなのかもしれない。

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