おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

1月1日、ことばのちから

2017年、明けました。

いつになく気力がない元旦です。

卒論を30分に1回休憩を入れながらつらつらやってます。


おせち料理は美味しかったし、いつも通り家族全員が健康でお正月を迎えられたことだけでも幸せなんだけれども。

なんだろう、なんとなく覇気がない。


まぁ、単に家にいるのが肩身が狭いだけか。

親の期待を裏切るとこういう風になるのか。ちょっと新鮮。弟の気持ちがちょっぴり分かる。


Facebookを開いても、読みたい!と思える年始の挨拶は案外少なくて、すぐに閉じてしまった。


Facebook上の人間関係では結局満たされない。今日一番気分が高揚したのは、手書きの年賀状のメッセージだった。


でもなんだろう。最近何人かのブログはとても読みたくなるんだよね。


それは、Facebookの投稿が(特に年始のような節目の時には)「みんな」に向けているから似たような感じの、のっぺりとした色がない文章になってしまっていて、

それはそれで「私はこうしてますよ」報告っていう役割があるから面白い必要はないしそこまでその人に興味がないっていうだけなんだけど、


何人かのブログはそれと違うからだった。

「リアルさ」かもしれない。それらが持っているのが。

抽象的な話にも具体的な話にも

「リアルさ」があるとおもしろくてなんだか救われた気がしたり元気になる気がしたりして気がつくと読んでしまう。


文章っておもしろい。

ますます最近思うようになったし、2016年とても興味が湧いたことのひとつだった。



読むのも、書くのもおもしろい。



140字のツイートからブログ、

本だと小説、詩集、絵本、新書どれも

良いタイミングで出会うとすごい力を発揮する。

しばらく頭の中がぐるぐるして、いてもたってもいられないほどわくわくしたり、誰かに会いたくなったり、何かをしたくなったり、どん底から起き上がれた気がしたり、

人にこんな気分を与えるって、本当に言葉はすごい。


逆に自分が書いたことで、読んでよかったとか救われたとかの反応が来たこともあって、

それはもうすごく嬉しい。


自分の書いたつたない文章をあとで読み返すのも好きだ。

今までは意識もしたことなかったけど、小学生からずっとつけている日記を読むのがそういえば好きだった。


2016年は、

言葉以外にもたくさんたくさん伝わる手段があってそれにもものすごく興味を持っていたんだけど、


単純にことばのちからの大きさに救われた年だったような気もする。


言葉は人を傷つける時にすごくフォーカスされてしまうし力も強いんだけど、


救う力の方ももっと注目してあげよう。


なんだか抱負なのか振り返りなのかわからなくなってしまった。


相変わらず気力はないし、家族と一緒に初詣に行かなかったのも少し後悔している。まだ年を越してから外に出ていない自分に嫌気もさしている。


けど、言葉を書いたら少しだけ




元気になった気もする。

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