だから進路を変えました
東京も、寒さが本格的になってきました。ガスストーブで必死に部屋を暖めながらこれを書いています。
「今は何をしてるの?」と聞かれたときに
「卒論です」と言えるものがあるのって、すごく便利。だって、授業もないし、かといって卒論に費やしている時間なんて実際には1日に3時間もないと思う。
好きなことをして、過ごしている。要は。
好きな時間に人と会って、イベントに行って、イベントをやって、買い物に行って、本を読んで、ケータイいじって、楽しい妄想をして…
1日2回の犬の散歩が唯一「時間の決まっているやらなければいけないこと」だなんて、なんてゆるい生活(笑)
そんな私ですが、実はこの2週間くらいは心の忙しい時期でした。
卒業後の進路を、変えたのです。簡単に言うと。
そりゃあ、忙しいよね。
今思うと、6月に内定をもらっていたところに行こうと思っていたのは、卒論と同じく
「来年からどうするの?」と聞かれたときに
「○○で働きます」と言うためだったんだろう。
精神安定剤&親との関係維持剤。もちろん、実際に来年からそこに行くことになってもそれなりに満足して、納得して仕事ができるような会社ではあったから、本気で行くつもりだった。行くものだとも思っていた。
でもいつもそうなように、私は半年後くらいまでしか、自分の強い「これからこうなっていたい!」がイメージできない。というか具体的に出てこない。
今回も「ん、なんかこれは…違うかも」という信号が頭の中で光り始めたときは、働き始める4月まで半年を切ったときだった。
私は「自然でいること」が好きだ。
3日前くらいにある友達と朝からコーヒー屋さんで3時間もしゃべったときに、「自分をあらわす言葉、そうでありたいというものはなに?」と聞かれて、少し悩んでそう答えた。
ネイチャーの自然ではなくて、ナチュラリーの自然。(ネイチャーの自然も好きだけどね)
人への接し方やすべてにおいて自然でいたいなあと思っているのだけど、その中には、
身近にあるものを肯定して、好きでいて、何かを選ぶときは自分の今置かれた環境に抗うのでなくて、自然にやってくるものの中から選んでいく。
というのも含まれている。
だから、ほんとは「休学」っていうのもあんまり好きじゃなかった。手段として使った事実は仕方ないけど、なんか、自然じゃないよね。
あんまりふり幅を大きく動きたくはないんだろうなあ、段差の低い階段をのぼっていきたいというか、近い点をたどっていきたいというか。
だから今、進路を変えるのに関しては、「なんかここで変えるって不自然じゃない?」という自分もいる。
でもたぶん、この先しばらく働いて「やめる」のもそのときは不自然なんだ。
だから、その「不自然」は世間から見て、なのかもしれない。自分にとっては自然なのだ。たぶん。
なんで1,2年待てないの?
の答えは、見つかっていない。たぶんここは言語化できなくていい。
だって、理性の自分は、「とりあえず1,2年今内定もらってるところで仕事して成長してから辞めるなりなんなりしてやりたいことやればいいじゃん」と言っているから。
私も「いや、最初はちょっと農業関係の出版社で働いていまして…」と言っている5年後の自分が容易に想像できるし、その方がちょっとかっこいい。
来年、いや数か月後、したくなってしまったのだった。私の暮らしを。
その暮らしを実現するための仕事を探そう、そう思った。
場所じゃなかったから、東京でもよかったけど、思い浮かんだのは、新潟の人でした。
この人のそばだったら働きたいなあ、という人が新潟には何人かいたのです。
それで、相談してみた。そしたら、なんとたぶん私のしたい暮らしを実現できる職がありました。正確には、作ってもらった、だけど(笑)
野望がないわけじゃない。というか、アウトローを行きたいわけじゃないというか。たぶん私は、面白さだけで生きていたいわけではない。面白いことはとても大事だけど。
世の中の過半数の人に支持される価値観や、多くの人がしている生き方、考え方、とはコミュニケーションをとっていたい。
その手段はまだわからないけれど。文章で伝えることなのか、存在の大きな組織とかかわることなのか、はたまた大学院に行ったりすることなのか、単にそういう知り合いたちと対話し続けることなのか。
福祉と教育を地域の自然なコミュニケーションの中でやる仕組みを作りたいっていう夢がある。
すべての目的は、いまここに存在している人が幸せであること、だとしたらたぶんこれをやらなければいけないなあと思っている。
たぶん、小さくても、できる。「規模が小さい」ことを肯定しただけでいろんなことが実現できるのに、どうしてみんなまだ規模が大きいことを目指しているのかわからない。
だけど生活のために必要なお金はほしいから、お金で困るのは嫌だから、
でもその規模感と仕事をしてもらえるお金の数値的な感覚が私の中にはまだないから、
まだ結果が出るかわからないような、小さいけどやってみたいことは
仕事の時間以外でやりたい。
だから、進路を変えました。
(まとまりがないけど書きたいことを書いた)