住みたいまち
東京に帰ってきて1週間がたち、卒論を書きつつも会いたい人には会い、行きたいところには行って、楽しんでいる井上です。
さて、土日に「千住・紙ものフェス」というイベントのお手伝いをしてきました。
前から何度かお世話になっている、1人で出版社とブックカフェをやっているとても尊敬している方に誘われたのがきっかけです。
北千住を中心とした町の、様々な活動をしている人、お店、会社が集まって「紙」というキーワードのもと人のぬくもりを感じられるような場を作ろう、と企画されたイベント。
私は事前会議の1回と当日の店番としてしか関われませんでしたが、それでもこのイベントとこの町にいる人たちのぬくもりは十分感じることができました。
2日間一緒に店番をしていたのは、いつもブックカフェ「SENJU PLACE」でお手伝いをしていて、近くの大学に通っている2年生の稲田君。
このフェス自体の企画・運営・総括をSENJUPLACEの吉満さんがやっているので、稲田君もだいぶ準備からお手伝いをしていた様子で、運営委員のメンバーは皆彼のことをとても慕っていました。
運営委員でなくても、来るお客さんは皆北千住に住んでいたり沿線に住んでいる方で、ブックカフェで出会ったこともあったのか、「お久しぶりです」「あら、今日はここでやってるのね!」という会話もしばしば。
そんな稲田君の表情がすごくよくて、稲田君を見る大人たちの目もすごく良くて、ああ、こういう関係性って本当に良いなあとつくづく思ってしまいました。
東京にも、地方にも、いろんな意味で「ひとり」暮らしの人がけっこういると思います。
もちろん「一人で住んでいる」という意味に加えて、家のまわりに顔見知りがいない、会いに行く人がいない、ということ。会社や学校のまわり、そこに行くまでの途中になじみの顔がないこと。
もっと言えば、毎日の食、身に着けるもの、暮らしの中で使うもの、休日の趣味の中に、だ誰かの顔が浮かばないこと。
そういう「ひとり」暮らしはけっこう寂しいんじゃないかと思うのです。気づいてないかもしれないし、別にあえて言わなくてもいいと思ってるかもしれないけど。寂しいと認めてもよいと思うのです。
特に、大学生には、自分の住んでいる町で「ひとり」で暮らしてもらいたくない。
「人と関わる」ことが大事なら、サークルや学生団体でいいかもしれない。でも年齢も背景もばらばらな人とはなかなか会えない。
「多様な人と会う」ことが大事なら、社会人のいるテーマ別のコミュニティ、例えば音楽とか芸術とかダンスとかスポーツとか、様々な分野で行われているイベントとか、そういうところでもいいかもしれない。何も住んでいる町で知り合いを作らなくたって。
でも、そういうコミュニティに属せる大学生は何かを持ってる大学生だ。「わたし、○○やってます」がないとなかなかそういうコミュニティで居心地よくなるのは難しい。
なんで住んでいる町が良いかというと…「私、この辺に住んでます」だけでいいからだ。
そこに住んでいるというだけで肯定される。共有できるものがある。
もちろん本人の人柄は関係しているけれども。
そう、大学生は「そこにいる」だけで褒められて、肯定されることが大切なんだ。
そして、「大学生」というかたまりじゃなくて、「○○くん」「一人の人」として向き合ってくれる誰かが必要なんだ。
それは、「暮らし」の中でより生まれやすいと思う。
どうしてもそっちが大事だと思ってしまいます。
自己紹介で言う自分が何者なのかということ、「大学生」や「社会人」や「○○関係の仕事してます」に関することよりも、それ以外のことを大事に思ってしまいます。
ライフワークバランスの「ライフ」と「ワーク」で言ったら「ライフ」の方。
仕事と暮らしで言ったら、暮らしの方。
大学生は「大学」が「仕事場」だけど、暮らしをおざなりにしてもらいたくないです。
定期的に行けるところにひとつ「会いに行きたい町」「会いに行きたい店」「会いに行きたい人」を作ってもらいたい。
欲を言えば、そこでイベントのお手伝いや中高生に出会いを届ける本屋や(笑)、何か自分の好きなことで誰かを喜ばせる活動をひとつやってもらいたい。
そこで目の前の人が喜ぶ、という経験をしてもらいたい。
きっとそれだけで、人生を豊かにする大事なことがいくつもわかると思う。
自分の感性を信じられるようになると思う。
北千住も、住みたいまちのひとつに加わりました。
先日は武蔵新城の本屋プロジェクト会議でも、武蔵新城のすてきな商店街と何人かの信頼できそうな人に出会って、
東京と東京近辺の好きなまち、おすすめしたいまちが増えていて楽しいです。
もう少し、言語化したいなあ。ここらへんのこと。住みたいまちに住む価値を。
内野もだ。