わからない
2016年10月7日のブログ*
いつも、このブログには学びと気づきを書いているのだけど、
たまには、思ったままを、その思ったものに名前をつけずに、書いてみようと思う。
後期は、新潟が多めの、東京と新潟行ったり来たり生活。
新潟でやりたいことは山程あった。
でも、最近ちらつくのは、
「どうせ4月までだ」
っていう、わたしの心の声なのか、誰かの声なのかわからない声。
だから、何を始めるにも躊躇しているような気がする。
イベントはいい。その日で終わるから、全力で考えられる。
継続する何か、は…考えるのは楽しい。
でも、何をするか、が具体的になってくるとだめだ。
その時やる人がやりたいようにすればいいと思っちゃうから。
だから、これがいい!って言えない。自信がない。
4月以降どうするの。
の声に応えるのが一番面倒だった。
わたしは私の進路に一番興味がなかった。
逃げたいだけかな。
決めないでいたかった。
ずっと迷っていたい。
新潟の日々は楽しい。涙が出るほど楽しい。
飯塚商店の改装も、ツルハシブックスの閉店に向けてのいろいろも、そのほかもろもろのイベントも、たわいもない会話も。
東京は、刺激はないけれど、自分と向き合う時間は増える。少し怠惰になって、自分と向き合っている。
新潟に行くな、と母が言う。
私の幸せは理由に入ってなかった。
私の中で、新潟にいるひとが偉いのだった。
頭での理解ではそうじゃないって知ってるけど、そう思っている。
わくわくする計画をずっと話していたい。
意外と、話せていない。
もう終わるひとだからなのかな?
小さな幸せが、しあわせ。
みんなにそう思ってほしい。
まわりの何人かは、忙しすぎる。
解決策も助言もいらない。
散文でした。