おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

クラウドファンディングのこと

2016年8月9日のブログ*

 

飯塚商店の改装は、結構前からやりたいなぁと思っていたことでした。

その資金集めの手段を、クラウドファンディングにしたのは、絶対的理由があったわけではないけれど、一番やりやすい手段としてやりました。

クラウドファンディングを始めて、細かいやりとりはさくらちゃんとあいりちゃんがやってくれていたので、私は完全に楽をしていたのですが、
なんというか拡散することの難しさを感じました。
そりゃあ、お金が絡むことですから、友達だからといって簡単にぐいぐいメッセージしたりたくさんお願いしたりできません。

思ったより支援額が伸びないなぁ、とちょっと焦る時もありました。

クラウドファンディングという手段の限界」を話してくれる人もいました。

「結局、支援する手間もあるし似たようなプロジェクトも多いし常にチェックしてる人は少ないし、顔見知りの人や価値がすでに理解できている少数の人、ようは「身内」が支援するんだよね。」

そういう声もあります、自分の中にもありました。

事実だと思います。でも、始め私はそれをどこか悪いことのように思ってるところもありました。

でも、達成した瞬間に分かったことがあります。
正確に言うと、達成した時にさくらちゃんにあることを教えてもらった時に。
「kさんとkさんとYさんは、直前でも達成していなかったら、援護射撃の準備をしてたんだって。」

「また支援する準備してたのに、達成しちゃった」と笑うその3人が思い浮かびます。

それを知った時に、
「なんだ、身内でいいじゃん。」と思いました。
そして涙がでそうになるくらい嬉しかった。

感性の部分で良いと思ってくれている人、単に私たちを「好き」でいてくれる人、そういう人たちを「身内」と呼ぶなら、
クラウドファンディングは「身内」のためのもので、全然いい。

きっと、私たちのクラウドファンディングは、 そんな「身内」の人たちに参加のきっかけを届けるものだったんです。

そんな「身内」が 150人もいたら、正直、人生をちょっと楽しくするたいていのことができると思うのです。

だって、19歳の暮らしをちょっと豊かにするようなお米屋さんの改装ができるんですよ。

もちろん達成したからこそ言えることですけどね(笑)
そしてもちろんみんなが援護射撃するほど強い気持ちではないですけど。

でも、これは前から感じていた感覚。

心でつながれる100人くらいの人と、暮らしの中でたわいもない会話をできる人が30人くらいいたら、なんかもうそれでたいていの人の幸せを作れる気がするのです。

もちろんその仲間というか身内というか、ゆるやかなコミュニティは、ドアも窓も大きく開け放しておく必要はあります。
タイミングと縁でいつでも入れたり出られたりするコミュニティでなければならないとは思いますが、
そういうゆるやかな輪が、東京にも地方にもたくさんあったら、もっとみんなシンプルに
「誰に何を届けたいか?」
でビジネスや商品づくりができたり、簡単に暮らしを豊かにすることができるのかもしれないね。

正しいかどうかなんて分からないけどね、でも、
クラウドファンディングが教えてくれたことも確かにたくさんあったのです。