おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

授業が「意外と楽しかった」理由

2016年4月15日のブログ*

 

復学して4年生をもう一回やる私。

普通、休学してようとしまいと、4年生で単位を取らなきゃいけない学生は少ないです。

だいたい、よほどサボらなきゃ、3年間でとり終える。

……私もそうだったら、4年生は思いっきり新潟行けたかもしれない…。

ですが…
そう、私はサボりではないのですが
4年生で単位を取らなきゃいけない組なのです!!!

この学科の人はこの科目の中からいくつ単位を取らなきゃいけませんよ、という「選択必修」というものがあるのですが、

他の学科の面白そうな授業を取ることに夢中で、ドジな私はその選択必修をすっかり忘れていたのです!!

それに気づいたのは3年が終わったところだったので、まぁ覚悟はしていたのですが、いざ4月になってみると、やっぱり憂鬱…

同期はもう卒業しちゃったし、
2年生が取るような授業ばかりだし、
言っちゃえば、興味のあるものはほぼ取ってしまったので残ってるのはそこまで興味のないものだし…

気乗りしないまま、第一回目の授業に出ました。

そしてですね、なぜかですね、それがですね。
なんか、面白かったのです。めっちゃ。

なんてことない話です。初回だし。

でも、話すこと話すこと、去年新潟で、どこかで話したり聞いたり見たりしたこととリンクしてしまって、
なんというか、これが「イメージできる」ってことか!
ってわかったというか。

これはすごいです。あんなにつまらなかったといっちゃ失礼だしそんなことないんだけど、
なんというか抽象的でイメージが湧かない話が、急に「面白く」なってしまう。イメージが湧くだけで。

これが京大とか東大に行ってる頭のいい友達たちを思い浮かべると、経験したり見たりする前からするっと理解できていたような気もするけど、
それができない私、含め多くの人は
やったことがあったり、目の当たりにしたことがあると格段に理解度が違う気がしました!

厳密に言うと、理解度は変わらないかもしれない。理論だけでも理解できることもある。

でも、「理解してる時の面白さ」が違う気がする!

そして「面白いと思いながら学ぶ時間」こそが私は価値があるんじゃないかと思うのです。
「理解したかどうか」「出来るようになったかどうか」じゃなくて、「面白いと思ってるかどうか」。
なんか、それが大事な気がするのです。

そう考えると、順番的にみんな、実際にやってみてから学んだ方がいいんじゃないかな!?

学ぶ→やる じゃなくて
やる→学ぶ ってこと。

特に文系の学問。経済学とか社会学とか。

やってみるってのは、活字とか言葉だけじゃなくて、非言語の受容器でその学問を受け取る経験ってことかな。触ったり、聞いたり、見たり、感じたり。

そうするためには、私みたいに休学して経験するのもありだけど…
例えば、中学生・高校生からやってみる。とか、
社会に出た後に学んでみる。
とかいうことで実現できるのかなぁ。

その機会があるといいなぁ。
そういう機会を作りたいなぁ。


とにかく、
久しぶりの授業が

「意外と楽しかった」理由がこれでした。

わかんない、一ヶ月後にはもう嫌がってるかもしれないけど、
少なくとも今はすごく授業を受けたい。教授と話したい気持ち。

ちなみに、今期受けるのは

食ビジネス論
食料社会学
国際農業経済学
環境社会学
農業政策論

分野がそもそも興味あるやつそうじゃん!と言われるかもしれませんが、
それがこうひたすら聞いてテスト受けてノートとって…となるとなんかつまらなく思えてきちゃうのは不思議。
でもそれはイメージが湧かなかったからかもしれませんね。

もう受けたけど、地域ガバナンス論と共生社会学はもう一回出てみたい。休学する前とは違うかも。