おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

「交流」について


卒論発表も追いコンも終わって、ここから2ヶ月の春休み。

2月の頭、早速タイに旅行に行ってきましたー!

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4日間バンコクだけというコンパクトな旅行でしたが、十分十分楽しめました。

タイは、3年前に半年間留学していた思い出の地。
田舎のキャンパスでタイ人たちと過ごした日々はたまらなく楽しくて、私の中でも大きな存在でした。

とはいえ、日本での日々も忙しく、新潟にも行っていたしなかなかタイには行けないでいました。
でもまあ、昔留学に行ってたといっても、今は行かなきゃいけない用事はないわけだし、ただタイ料理やタイ文化を懐かしむためにしてはお金も時間もそれなりにかかるよなぁ…と正直思うところもありました。

でもその気持ちは、タイ人の友達に会った瞬間にぶっとびました。

バンコクのお店で一緒にごはんを食べただけなんですが…

もう、その友達たちへの愛を一気に思い出しました。

会った友達は2グループ。ひとつは、一緒に暮らしていたルームメイトとその仲間たち、もうひとつは、日本語や英語を話すことにも積極的で私の留学生活を何かとサポートしてくれていた2人の友達たち。

「どこ行く?」「どこ行く?何食べたい?」「え、もうすぐ卒業だよね?」「ちょっと、やっぱタクシーでいこう!」
わーわーしゃべるタイ人たちのちょっと強引でちょっと適当な会話が懐かしくて、
そしてどんな時も楽しそうなことに改めて気づいて嬉しくなって。

ああ、私このために来たんだわ。って一気にストンと来ました。

丸々2年会ってなくても、顔を合わせればあの時と同じように会話できるし通じ合えるこの感じ。
タイ語も、この瞬間のためだけにずっと覚えていようと思うのです。

一緒に日本から行った大学の友達もタイに友達がいて、その子達も本当に良い子達でした。
なんでタイ人といるとこんなに楽しいんだろうか。

まあ、日本人同士でもしばらく会ってない親しい友達ってこういうふうに嬉しくなるもんな。
とも、高校の部活メンバーやツルハシブックスのメンバーを思い出して思いました。

それでもう一個思い出したことが。

先日、新潟で、とあるプロジェクトの報告会があったんです。
「うちの発掘ぷろじぇくと」という、内野に愛着を持つ人たちが、内野で何かやってみたいことを仲間とともにできる場を作っているプロジェクト。(たぶん

2年間のプロジェクトがこの1月で終わり、最後に各活動の報告会があったのだけど、
その時に新潟大学の雲尾先生からこんな話がありました。

”昔は国内交流(都道府県間の交流)、もっと昔は地域交流(隣村との交流)、今は国際交流(国間の交流)が起こっているけど
「交流」ってようはその違う区域に「友達がいる」ってだけなんだよね。
隣村に友達がいる、って時代から、◯◯県に友達がいる、っていうふうになり、今は外国に友達がいる時代になっている。
国際交流って聞くと大きなことのように思うけどそれだけなんだ。”

いやあ、本当に納得。
「交流」ってつくものは案外みんなそうかもしれない。
国際交流も「異世代交流」も「生産者と消費者の交流」も「障がいをもった方とそうでない方の交流」も
全部そうかもしれない。

違う部分をもった、境界の向こう側に
一人でいい、「友達」だと言える人がいること。

それだけで向こう側の視点を持つことも、自然に達成されてしまうような気がします。

だから、いろんな基準での「向こう側」に友達を一人ずつ作りたいなぁ、と思います。

小学1年生の時の歌で歌った
「ともだちひゃくにんできるかな」は
「同じ」学校の「同じ」学年のひゃくにんではなくて
違う何かをもった違う人がひゃくにん友達にいる方が大切なのかもしれない。


私が新潟に行ってよかったなぁと思う理由のひとつは、
小学生の友達も、80歳、90歳の友達もできたこと。

それだけで、たくさんの本を読んだり授業を受けるのと同じくらいかそれ以上、
たくさんの視点が得られると思うのです。



止まってみる。

歩け、歩けと言われてきた。

運動しなさいという意味ではない。
正確には、歩け歩けと言われてきたように感じている、だ。

中学の次は高校、高校の次は大学、大学の次は就職、、
「この時期にやるべきこと」を、こなしながら進んできた。

敷かれたレール、という意味ではない。
選択の岐路にはいつも、ちゃんと選択肢もあった。自分で選べた。

選んで進む、選んで進む、人生はその繰り返しだ。
特に否定もしないし、それを変えようとは思わない。
小学校の時には将来のどうなりたいなんて想像もできなかったし、しなくてもよかった。
選んで歩きながらわかっていけばいいんだと、そう思う。
仕事だってなんだって、毎日を、目の前のことを頑張って歩いていくこともとても大事だ。

ただ、「選んで進む」ことと同じように「進むことをいったん止めてみる」という選択肢も並んでいてもいいような気がしている。

止まってみる。立ち止まってみる。
進んでいたものを止めてみる。
結構、止めること自体に労力もいるだろう。ブレーキをかけることはそんなに簡単じゃない。
まわりに多少の迷惑もかけるかもしれない。

それでも、自分の心の奥底から声が聞こえてきたら、
「時間がほしい」とか「本当はこれがやりたい」とか「本当はこの人といたい」とかいう声が聞こえてきたら
止まってみることもオススメする。

例えば、学生や仕事を思い切って一定期間休んでみる。団体やプロジェクトを離れてみる。家族や恋人や友達と離れてみる。

立ち止まり方を知った人は、歩き方もきっと上手になる。歩くのもラクになる。

止まってみる選択をした時に協力してくれるものやサポートしてくれる人は、意外といる。

だから、悩んでいる人は今やっていること、日常の中で大きく時間を使っていることを「いったん止めてみる」という選択肢を心のどこかにおいてほしい。
置くだけでいい。まずは。
別に止めたらどんな効果があるか、なんで止めるのかなんて説明できなくてもいい。

それだけできっとちょっと、ラクになる。
そしてその止めてみることがものすごく魅力的に思えたら、実際に止めてみることもありだ。

止まってみて、やってみたいことをやってみて、もしくは何もしないでみて、
そこでしか見えないものもきっとたくさんある。

長い人生、自分の心の声を聞いて止まったり進んだりしながら過ごしていけたらいいなと思う、ここ最近。

かわるけど、つづく



最近、自分の変化を実感します。

いつからか、自分と対話するようになって。
自分と対話ってのは、
自分今何を感じてるんだろう?とか
わ、今の自分ってこうだなーとかを
考えること。

2人自分がいるみたいに、一人の自分がもう一人の自分を見つめること。

これができるようになる前とあとじゃ、生きやすさが全然違うのだけど、
だからこそ1日1日で異なる自分を、変わる自分を実感します。

うわあ、今の自分なんか頭がフル回転してやる気に満ち溢れてるな、って思った次の日には
うわあ、なんかひたすら布団にいて何もしたくない自分、出たー!とか、
うわあー久しぶりに好きな人のことばっか考える自分出てきたなぁ、とか

もうそれはそれは、波が激しい、(笑)
1週間前の自分が、ものすごい遠い昔の自分に思えたりします。

変化のきっかけは外的要因であることがほとんどだから、毎日何をするかや誰と会うかで気分がすっごく左右されるのだけど
だからこそ一方で、「変わらずつづく」ものが愛しくなる。

例えば、それは食卓。

好きな米屋のお米。
好きな味噌屋の味噌。
好きな海産物屋の煮干しでとっただし。
あの人にもらったお漬け物。

ストックがなくなったり人とご飯にいったりもするから本当にこれらのものが常に食卓にあるわけではないけれど、

変わる自分に振り回されたあとに、
そっと大好きな食卓に「帰ってくる」と、ほっとする。
別に辛いことはなくても、なにかから耐えられる気がする。

それが、「ともに暮らす」ってことなのかもなぁ、とぼんやり思いました。

コメタクが届けたいのは、きっとそんな「帰ってくる食卓」なのかもしれない。

今年はそんな食卓を届けるべく、何かやってみたいです。

ふらりと行ったすみだ青空市ヤッチャバでもらった漬け物を食べながら思ったこと。

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卒論



ついについに…

昨日、卒論を提出しました!!やったー!

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合格かどうかはまだ分からないので卒業確定とはまだ言えないですが、ここ数ヶ月をかけてやってきた卒論を終えられたことにまずやったー!です。

そんでもって、
卒論の考察とか謝辞とかには書ききれなかった卒論への思いというか言い訳というかしゃべりたいことをここに書こうと思います〜


卒論について研究室の先生が話がされて、テーマを考えなさいと言われたのは、たしか6月の末くらい。
就活第一期が終わったかなー、くらいの時。

私はその時、卒論というものがわからなかった。
そりゃ、あの毎年先輩がひいひい言いながらやっていて、好きなテーマについて仮説立てて調査して実証する論文で、学生生活の集大成的な存在で…とかそういうことは分かります。

でも、卒論を何のために書くのかとか、それをどんなスタンスで決めるのが良いのかとか…どうやって作り上げていくのかとか…そういうのがわからなかった。
そういうのがイメージとして迫らないとスイッチが入りにくい性格です。

でも2回目だったかの卒論ゼミで皆が自分のやりたいテーマを発表していっていた時に
先生が
「あなたは何をしたいの?何を明らかにして誰を喜ばせたいの?」
ってそれぞれと話しながら聞いているのを見て、
ああ、卒論ってのはプロジェクトのようなものなのかもしれない、と思った。

少なくともうちの研究室においてはね。

最初、食文化や大学生の地域との関わりをテーマにしようとしていた私は、
卒論をプロジェクトだとするなら、やっぱり新潟で私がやってきたことについて書こう、と思いました。


そこで先生に提案された卒論の書き方は、今まで見てきた先輩たちの卒論とは違ったものでした。

仮説を立てずにまずはルポ風に全てを記録する。記録が終わった時に見えてきたものを考察しよう。

へ?と思ったけどなんだかしっくりきたような気がしました。

その形式でやり終えて思うのは…仮説を立てて事例を調査して考察する、普通の論文の方が、圧倒的にかっこいいです。笑

一から十まですーっと理論の軸がつくれるような、図式化できるような、そういう論文の方がかっこいいし、
それはそれでやってみたかったけど、
私がコメタクとツルハシブックスをしていた1年半のことを書くなら、それは無理でした。

それは、自分が圧倒的に当事者だったから。

当事者だった私が論文に強みとして出すものは「詳細さ」であることと
当事者だった故に主観で書いた記録がなければ客観的な考察なんてできなかったこと、このふたつの理由でしょうかね。
このアクションリサーチ的な書き方が合ってる理由は。
と書き終えて思います


本当に当事者であることは論文を書く上では面倒臭いことでした。


ただ記録をすることにたまらなくなって考察・意味づけをしだそうとすると、

「こういう基準で評価したくない」
とか
「このためにやってたわけじゃない」
とか
「こんなこと書いてこの人喜ぶかな」
とか…
もう、感情がジャマ!!!


でも、本当に卒論やってよかった。

卒論が「プロジェクト」なんだと理解した時に、私は卒論は「手段」だから、それによってやりたいことをやろうと思っていました。

私のやりたかったことは3つ。

・深く関わってきた人たちとコメタクやツルハシブックスについて、じっくり話がしたい。
・私の中でコメタクとツルハシブックスのまとめをしたい。振り返りたい。
・コメタクとツルハシブックスの記録から生み出される考察を見てみたい。それを小田切先生と共有したい。

特に、一つ目がすごくすごくやりたかったことなので、
10〜12月は新潟にいる間、たくさん話を聞きました。
合計で18人くらいに聞いたかな。
1人1〜2時間ずつ。

これが、最高に良かった。
卒論には入れきれなかったけど、
コメタクとかツルハシブックス以前に、
その人の人生の話が面白くてたまらなかった。

人生の話と言っても、生い立ちからとは限らないし、
転機となった体験の話を断片的にしてもらった感じかな。

とにかく幸せでした、なんだか。
別にいい話ばかりでもないし褒められてるわけでもないのだけど、
人が自分自身に問いかけながら話をしている時の、本当の言葉を浴びてるのが、好きだ。

あとは、その人と私との関係性があるからだろうな。
聞いた人みんな去年かなりお世話になった人たちばっかだったから。

今私のiPhoneはボイスデータでパンパンなんですが、
これが私にとって価値あるものすぎて消せない。笑

卒論とは関係なく、いつか何かの形で世に出したい勢いです笑

そうして書いた私の卒論は、
「実践記録編」として書いたコメタクとツルハシの今まで、飯塚さん大口さんのインタビューと、
「理論編」として書いた考察の
二部構成になりました。

実践記録編はねえ、もう、ただのエッセイ。
だから、第二部の理論編で全く使われてない部分もたくさん書いています。
なんと、実践記録編だけでワード30ページ。笑

何もかもが直接的に今つながるとは限らないからね。

ありのままの過程が、価値だと思うから。

そして、「私の目から見た」というのも。

まあ、10年後くらいに読んで恥ずかしくてくぁあってなるくらいでいいんじゃないでしょうか。(笑)

この数ヶ月幸せな時間を過ごせたので、それで卒論の目的いっこ達成してるし、満足。

本当にみなさんに感謝です。
ありがとうございました。
卒論にも謝辞書きすぎました(笑)

さて、次は2017年にやりたいことリストを書くか!!


きっと今年も生きていける。

1月1日、ことばのちから

2017年、明けました。

いつになく気力がない元旦です。

卒論を30分に1回休憩を入れながらつらつらやってます。


おせち料理は美味しかったし、いつも通り家族全員が健康でお正月を迎えられたことだけでも幸せなんだけれども。

なんだろう、なんとなく覇気がない。


まぁ、単に家にいるのが肩身が狭いだけか。

親の期待を裏切るとこういう風になるのか。ちょっと新鮮。弟の気持ちがちょっぴり分かる。


Facebookを開いても、読みたい!と思える年始の挨拶は案外少なくて、すぐに閉じてしまった。


Facebook上の人間関係では結局満たされない。今日一番気分が高揚したのは、手書きの年賀状のメッセージだった。


でもなんだろう。最近何人かのブログはとても読みたくなるんだよね。


それは、Facebookの投稿が(特に年始のような節目の時には)「みんな」に向けているから似たような感じの、のっぺりとした色がない文章になってしまっていて、

それはそれで「私はこうしてますよ」報告っていう役割があるから面白い必要はないしそこまでその人に興味がないっていうだけなんだけど、


何人かのブログはそれと違うからだった。

「リアルさ」かもしれない。それらが持っているのが。

抽象的な話にも具体的な話にも

「リアルさ」があるとおもしろくてなんだか救われた気がしたり元気になる気がしたりして気がつくと読んでしまう。


文章っておもしろい。

ますます最近思うようになったし、2016年とても興味が湧いたことのひとつだった。



読むのも、書くのもおもしろい。



140字のツイートからブログ、

本だと小説、詩集、絵本、新書どれも

良いタイミングで出会うとすごい力を発揮する。

しばらく頭の中がぐるぐるして、いてもたってもいられないほどわくわくしたり、誰かに会いたくなったり、何かをしたくなったり、どん底から起き上がれた気がしたり、

人にこんな気分を与えるって、本当に言葉はすごい。


逆に自分が書いたことで、読んでよかったとか救われたとかの反応が来たこともあって、

それはもうすごく嬉しい。


自分の書いたつたない文章をあとで読み返すのも好きだ。

今までは意識もしたことなかったけど、小学生からずっとつけている日記を読むのがそういえば好きだった。


2016年は、

言葉以外にもたくさんたくさん伝わる手段があってそれにもものすごく興味を持っていたんだけど、


単純にことばのちからの大きさに救われた年だったような気もする。


言葉は人を傷つける時にすごくフォーカスされてしまうし力も強いんだけど、


救う力の方ももっと注目してあげよう。


なんだか抱負なのか振り返りなのかわからなくなってしまった。


相変わらず気力はないし、家族と一緒に初詣に行かなかったのも少し後悔している。まだ年を越してから外に出ていない自分に嫌気もさしている。


けど、言葉を書いたら少しだけ




元気になった気もする。

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誕生日メッセージ

大晦日は、気分が乗ったので掃除をしている。
母親とはまだぎこちないけれど、生活は続く。

部屋の掃除してたら、出てきた、小学校時代の誕生日メッセージ。たしか小4。

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クラスで書かなきゃいけなかったのかな?全員描いてた。でもこれ大変だねみんなにやるの。


部屋に紙が多すぎるので、これも捨てることにしました。

最後に、面白かったメッセージだけ紹介して。

そしたら、思い出にもきっと残るよね。


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「」の意味はなんだ


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けっこうか…

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突っ込みどころ満載(笑)頭いい人が10才になるべきってどういうこと(笑)ポーレチケの日ってなんだ(笑)



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うーむ。下の色鉛筆のもにゃもにゃが気になる。ちなみにクラスで一番もててた気がするこの子


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なんか頑張って書いてくれた感じは嬉しい。ごめんでも、かがくの博士にはたぶんならない。かがく書けないけど博士書けるんだね。

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最後はちょっと悲しいきもちになるこちらの手紙。この子はあんまり友達がいなかったな。この子が学校じゃなくてもいいから自分の居場所を持っていてくれていたことを願う。「それで10才になったんだね」の「それで」が好きです。



小学校時代に書いたものだけじゃなくて、ちょっと自分が忘れてるくらいの過去に書いたものや写真は、いい。


その瞬間の何かを閉じ込めているから。


それは、今の自分だけじゃ思い出せないもので、

その期間が何のためにあったのかなんて思わなくていいもので。


その瞬間は、その瞬間のためにあったんだ。


と思える何かがある。



だから好きだ。












親のきもち

やってしまった、と言う感じ。

親とこんなに険悪ムードなのは、2年前の休学の話の時以来か、いや人生で初めてかもしれない。

少なくとも最近は覚えがない。


進路を変えたことを「報告」した。

「相談」じゃなく「報告」したのは、自分の身を守る為だと思っていた。

途中を見せるといろいろ言われてしんどくなる、だから自分の中で完成してから言おうと言うのは、実家にいながら就活をした時の教訓でもあった。


でも、本当に大切な人からの相談なしの報告はしんどいということも心の底で私は知っている。


だから、今回も怖がらずに相談すればよかったのかもしれない。

違和感を持った時点で、反対意見が飛び出ることも覚悟で。

それが本当の誠意だったのかもしれない。

その上で進路を変えれば少しはマシだったのかもしれない。


傲慢だ、と言われた。

なんのために育ててきたのよ、とも言われた。

手も飛んできた。


どんなに正直にちゃんと言葉を返そうとしても、全部否定されてしまうから、コミュニケーション方法が分からなかった。

議論できないのは悲しかった。


けれど、分かる。お母さんの立場に立ったら、想像してみたら、やりきれないのもわかる。


東京で生まれて優秀な人たちを見てきて、少し劣等感も持ちながらでも幸せな結婚と出産をして。そして20年間子育てをしてきた。

子育てっていうのは、一言で言われるけど本当にたくさんの過程がある。

たくさんの悩みがある。やりたいことも、やらなきゃいけないこともたくさんある。乗り越えなきゃいけない山がある。

成績、友達関係、部活、受験、引っ越し、大学の学費、習い事、留学、塾、、

いろーんなことに、いろーんな私のためのことに、お母さんは神経を割いて来たのだった。


私はこの全部でお母さんの助けを得ている。自分がやったような気になっているけれど。

だから、お母さんは自分が最後の、子育てが終わる直前の最後の決断に関与できなかったことが悲しかったんだろう。


進路を変えなければよかったとは思わない。でも、例え時間がなかったとしても、相談はしてあげてもよかったかもしれない、とここまで書いて思った。


ごめんなさいお母さん。


けんかは嫌いだ。できればこんな思い二度としたくない。

だから、一刻も早くお互いが嫌な気分なのを治したい。

ああ、親相手だと全然良いアイデアが浮かばない。



結局、親がこんなに一生懸命に私を育ててきた時点で、そしてある程度私がそれに答えられている時点で、私は親の望まない道を選べる身分ではないのだ。

選んでしまったけれど。


私は子供を、良い意味であんまり一生懸命に育てないようにしようかと思うくらいだ。



まあでも

親の言ってることの中には分からないことがいくつもある。


例えば、「普通」は我慢して数年頑張ってるから、「みんな」苦しい「もんだ」から、

まずは新卒は企業で働かなきゃいけない、という理屈。


楽しくてわくわくする方へ行くことへの全否定。


そういう考え方もあるね、で他人だったらすむけれど、すまないのが親だ。


私もそんな意固地に自分の意見を貫いて同意してもらおうとは思わないから、

せめてもう声を荒げないで、

優しく毎日を過ごしたいと願うばかりの年末でした。


(でもなぜか私もすぐ涙が出て感情的になっちゃうんだけどね…)