おかかとこんぶ

新潟にいる人。映画と本と家ごはんが好き。

ツルハシブックス閉店

2016年8月9日のブログ*

 

11月5日に、内野駅前のツルハシブックスが閉店します。

私が内野に来るきっかけになり、内野に住んでいた1年間は店員サムライとして奮闘した、ツルハシブックス。

この不思議な本屋の閉店は、実は、私たちにとっては始まりなのです。

以下は、私の閉店挨拶の文(笑)
サムライそれぞれに少しずつ違う思いがあるので、全員が閉店挨拶を書くという、またツルハシブックスらしいスタイルです。


***

何かがなくなることが、次のステージに進むきっかけになることがある。

今までも、ツルハシブックスはそうだった気がします。

西田さんが常にいるわけではなくなった時、今井さんが卒業した時、
地下のハックツができなくなった時…

どの時も、「誰に何を届けたいのか」っていう大切な部分を見つめ直して
やる人ややる方法を変えながらツルハシブックスは
新しいステップを登っていた気がします。

今度は、内野駅前というあの場所では「なくなる」。
だから、きっとまた次のステージが待っているのだろうと思います。

今年の四月からツルハシブックスを離れた私は、
同じく「内野駅前ツルハシブックス」にはいないけれども、
ツルハシブックスマインドを持った人たちがあちこちで
「ツルハシブックス的なこと」をしているのを見ました。
長野県の伊那や、大阪や、東京の上石神井
卒業したサムライの心の中にもありました。

それを見て、「ツルハシブックスはどこでも作れるのかもしれない」と思いました。

もはやツルハシブックスは場所の名前ではないのかもしれません。

私も私のツルハシブックスをまたどこかで作れたらいいなぁ。

そう思う人はサムライの中にも劇団員の中にもいるはずで、
私はツルハシブックスがあちこちにできている未来を想像してにやにやしています。

私が運営に関わっていた1年間は、「みんなでつくる」ツルハシブックスで本当に良かった、となんども思うほどに
皆さんの力を借りていましたね〜。
チームツルハシブックスのみなさん(たぶん思い浮かぶ顔は50人以上笑)、ありがとうございました!

休学してツルハシブックスにもらったものは確実にこれから私がやっていくことに生きていて、
人生という旅の途中で偶然ツルハシブックスに出会えたことに本当に感謝しています。
これからもよろしくお願いします。

***

ツルハシブックスは、大きなイベントを成し遂げたわけでも、たくさん稼いだわけでも、めちゃめちゃ有名なわけでもないけれど、

確実にいろんなものを生み出しています。
それは、いつ生み出しているのかというと、たぶん日常の中なのです。
ツルハシブックスのすごさは、日常にあり、です。
だから、ぜひ閉店前にもツルハシブックスに実際に来てほしいし、
閉店後も見守っていてほしいなぁ。

いつまでも、偶然を届ける本屋で、学びを届ける本屋で、居場所を届ける本屋です。

目を凝らすと、ツルハシブックスはその道の先にあるかもしれない。
あなたの隣にあるかもしれない。

そんな人生、楽しみだ。

なんかブログっぽくなかった(笑)

あなたのままで

2016年8月9日のブログ*

 

クラウドファンディング、終わりました。
ドキドキしたりざわざわしたり、心の中が大騒ぎな日々でした。
東京での毎日は、また別の顔をしながらとんとんと過ぎていっていましたが、
ほどよく客観的になれたり違う視点を持てたりしたかなと思います。
とにかくたくさんの人に支援してもらえて、達成してよかった。ありがとうございました。


あいりちゃんのレポートを読んで、
ここ数ヶ月強く思っていたけど言語化できていなかったことが、言語化できた気がしました。
ここからは、ちょっと先の未来の自分のために書き記します。
たしかにたぶんこの地点が、自分の届けたいメッセージが明確になった第一回目かもしれないから、いつか見直した時にこの時こう思ってたことを思い出してほしいなって。

そんなこと言って、これより強く思うことがこれからもあるんだろうなあ、今は想像できないけど。


4月から東京にいる中で、久しぶりに会ったり新しく会う人たちの、
なんとなく辛い気持ちや苦しさに出会う度に
のどまで膨らんでいるのになかなか出てこないし出し方がわからなかった気持ちがありました。

人生は幸せな瞬間の積み重ねであってほしい。
だから、「ただ辛い」時間はなるべく少なくあってほしい。

そう強く思ったのです。
ただ、でもそれは誰にでも言えるものではなかったのです。
多くの人が自分がやりたいことや好きなことじゃないことを我慢して頑張ってやっている中で、そんなことを言ったら、「甘い」とか「忍耐力がない」と思われるでしょう。

でも、大切なのは10年後でも20年後でも老後でもなくて、今この瞬間なんだと思うのです。
たぶん、そもそも人生において結果より過程の方があなたを作っているのだから。
過程を大切にしてほしい。

別にいいんです。仕事で自分のやりたいことができていなくても、恋人や家族や友達とうまくいってなくても、夢や目標に近づけていなくても。

でも、自分を、自分を作っている自分の暮らしを、否定しないでほしい。
自分を否定しちゃうような暮らしはしないでほしい。
たぶん、たとえ嫌いな部分があっても「自分」を肯定できている時が一番幸せだから。
そして、自分を肯定できるようにしてくれるのは、実は本当にちっちゃい暮らしの中の行動だと思うのです。

いつもと違う道を行くこと。
手紙を書いてみること。
おすそわけしてみること。
米を、炊くこと。
近くの人を頼ってみること。
近くの人を助けてみること。

「暮らしの中でちっちゃい行動をしてみる」ことは、幸せな瞬間をつくることのできる行動の中でいちばん素敵で尊くて、無理がない。
そして暮らしは誰もが持ってるものだから、誰もがやることができます。

そして、その「ちっちゃい行動」は、
あなたがいいと思ったものでいい。
ちゃんと本当のじぶんのこころの声を聞いて、本当の自分のなんとなく好きだなと思えることでいい。

あなた基準なんだから、誰にも評価なんてできない。
あなたの感性しか判断できない。

あなた基準なんだから、他の人と比べる必要はない。というかあなたが「好きだ、いいね、」と思った時点で、もう何よりも好きで良いものなのだから。

結局なにが言いたいかっていうと、

私の目の前に誰かがいるとして、その人の届けたいメッセージは、ひとつだけなんです。

「あなたのままでいいんだ。」

たぶん、これだけなんです。

辛いな…と思っている人に伝える、具体的な解決策や、気づきや学びはたくさんたくさんあるのだけど、
もし、あなたがたったひとつだけメッセージを目の前の人に届けられますよ、と言われたら、まちがいなくこれだと思う。


実は、前にさくらちゃんがにしだひろみさんの朗読会をしたときのブログでも書いていた。
そして、あいりちゃんがクラウドファンディングのレポートでも書いてくれていた。

結局2人に気づかせてもらったのが、私。

だから、もしかしたらコメタクの伝えたいメッセージは
「あなたのままでいいんだよ」
なのかもしれないね。

でも、それを伝えるのは、
私のままでいいんだ、と思ってもらうのは
とても難しい。特に言葉だけでは。

これからそれを「どうやって」わくわくしながら届けるのか、それがわたしのライフワークかもしれないのだけど、

まずは飯塚商店が、それを助けてくれるような気がするのは確か。

改装、とても楽しみです。

ときめく片付け術

2016年7月21日のブログ*

 

このタイトル、別に家事にはまっているわけではありません。笑

こんまりさんの「人生がときめく片付けの魔法」っていう本で学べる「こんまり流ときめく片付け術」というのが、なんでも海外にまで話題らしい。

「片づけられない」が悩みの主婦たちに大人気で、ベストセラーだとか。

たしかに私も一度や二度耳にしたことがありました。まあ、それくらいだったのですが、先日なんとですね、うちに「こんまり流片づけコンサルタント」が来たのです!

母が家の中にたまりにたまったものを一気に整理したい、と思って利用したサービスで、実際に片づけコンサルタントの方が一緒に片づけをしてくれます。数回に分けてやり、間の期間には宿題なるものがあって、全部の回が終わるころには家の中のものすべてがきれいに片付いている、というもの。もちろん時間ごとにお金がかかります。

なんだかすごいなあ、とちょっとびっくりしてみているだけだったのですが、よく聞いてみるととても面白い。

本に載っているこんまりさんのやり方にそって一緒に片づけをしていくのですが、細かい約束が本当によく考えられています。

でもこのこんまり流、いいところは、「一緒にやる」ところで、やり方を覚えれば一生続けられるものだということ。

ようは、「考え方」と「順番」だけなのです。すごい技も道具もいらない。

一番それが表れている約束が、

「ときめくかときめかないかで捨てるものを決める」

ということ。

家の中でお母さんとコンサルタントの人が

「これはときめきますか?」

「ときめき…ません」

「これは?」

「うーん、ときめくかなあ」

なんてやりとりをしているのはちょっと笑っちゃうのですが、これ、実は深いな!と思いました。

 

たぶん普段から、「ときめくかときめかないかを判断できる力」を磨いておかなければできないから。

こんまり流片付け術を習得するとできるようになることは案外そのことなのかもしれません。

日常の中の小さな決断ひとつひとつに対して、「ときめく方」を選んでゆくこと。

そうすると、自分の暮らしはときめくものに囲まれていくようになるから、ますます「自分にとってのときめき」に敏感になると思う。磨かれていくと思う。

昼ごはんを食べるお店、日用品を買うお店、着るもの、食べるもの、飲むもの、行くところ、通る道、読む本、会う人、、、

たぶん全部、「てきとうに何も考えずに消費した」時と「自分がときめくほうを選んだ」時では、自分の磨かれ方が違うのではないかな、と。

私は、ときめく方を選べているかな?

今日、空いた時間を遠くのある人に手紙を書くことに費やしたことを思い出して、ちょっと胸をはれる気がしました。

ときめきが多い日々は、楽しいに決まっています。

毎日を楽しくできる人は、たぶん胸をはっていいんだと思います。

こんまり流がこんなに流行るということは、そんなことに価値を感じる人が増えているのかもしれませんね。

コメタクをやる理由その○○

2016年7月8日のブログ*

 

コメタクをやっていると

あ、これがコメタクをやってきた理由だったんだ、と思える瞬間に何度も出会います。

何度であっても、またそういう瞬間がやってくるので、もうコメタクをやる理由が積み重なって何個目かわかりません。積み重なってるわけじゃないのかな?いっこが深まっていっているのかな。まあ、どちらにせよまた、そういう瞬間に出会ったわけです。

うまく言語化できるかわかりませんが、まあ書き始めてみよう。

 

最近、少しつらいことがありました。ひとつつらい出来事がどーん、とあるわけじゃなくて、

どこでつらさを受けたかもわからないような小ささで、でもじわじわとちくちくと確実に襲ってくるつらさ。

なんだろうこれは。この人と話してるとき辛かったな、というんは覚えていても、その人との言葉のどこがつらかったのか、全然うまく説明できないのです。

そんなときに小さなイベントの手伝いをしました。

何人かの大学生で、働き方や地域に行くことについて話す会。西田さんの無茶ぶりで、なぜか私への質問形式で場が進んでいったのですが。笑

そこに、ある女の子が参加していました。

すごく私と境遇が似ているというか、迷いが似ているというか。年も同じで、勉強してることや興味も似ていました。

中高時代は勉強を頑張って大学に入って。

より選択肢が広がるような選択をひとつひとつしてきて、それなりにうまくいっていて。

でもいざ卒業後の進路選択をしよう、となったときに今までみたいにより選択肢が広がるような選択をしようと思ったら、なんだかつらいな、と思えてきて。

そういう話をしていました。私もおなじだと思いました。

 

帰りの電車がたまたま一緒で、たくさん話しました。

「20年後の幸せより、1年後、1か月後の幸せが大事だ」と私が言えたのが、びっくりだったそう。

たしかに、私もこれを言うのは、私にとっても少し怖いな、とあらためて思いました。

だって、甘い、とか、やるべきときにちゃんとできない子、とか言われそうだもん。

あ、それだ。

私がつらかったの、それだ。

あなたを思うからこその厳しさ、と言われて、逃げるのはよくない、と言われて。

就活を優先しながらも、隙間隙間で楽しいことやりたいことをやっていた私に

さすがに人生がかかってる就活の時期なんだからそれくらい我慢しろよって。

でも。たしかに、私が日常でやってたり参加してることは、ひとつひとつはそんなに大きくないかもしれないけど、私にとってはすごく大事なんだよね。

 

たぶん私にとって、手の届く範囲にある、目の前の、日常のものが大事になってきてしまったのだと思う。

それが○○、と一つに断定できるものではなくて、その中には物も人もこともある。

好きな本を読むこと、展示を見に行くこと。好きなものを食べること。

友達と誰かのためのイベントを開くこと。

やりたいこと会議をすること。

とことん話すこと。

そういうことが。

 

大学1,2、年。3年もかな。私はやっぱり「正解」を追い求めていたように思う。

だから、遠くの「すごいもの」に手をのばして、機会は多ければ多いほどいいと信じて、

予定をパンパンに詰めて。その「すごいもの」はあくまで自分で測った物差しじゃないっていうのに。

でも、ひとつだけ私の中で変わらないことがあって、それは昔から目の前の人がハッピーになることに(無意識に)全力は尽くすことだった。

目の前の人が喜ぶことが本当はもとから一番好きだったんだよね。

だけど、遠くのものに手を伸ばしてそこでも目の前の人を喜ばそう、というのを繰り返してたら、そりゃあ疲れるわ。笑

しかも、今はさらに、

目の前の人には20年後じゃなくて、明日を幸せに過ごしてほしいと思ってしまう。

だから、何かを迷ったり悩んでいる子と話しているときの私の返事はとても甘いと思う。はたからみたら気休めに思えるかもしれない。

見る人が見たら、なんて危険なことをしてるの、それでその子は道を誤っちゃうかもしれないじゃない、もっと頑張らなきゃいけない時になんてことするの、と言うかもしれない。

私だって正しいほうはわからない、自分の中にいろんな自分がいるし、揺れている状態。(ちなみに、揺れてる自分の状態もいいなあ、と思えると強い)

でも、「ただ辛い時間を過ごしてほしくない」と強く思ってしまう自分を無視できない。

あと、人から言われる負の言葉がどんなに心を無意識に圧迫するかなんとなく分かるから。

だからこそ、私が思ってることを言えたことに驚いたその子は、言っちゃいけないと無意識に思っていたんだろう。

いや、言えない人がいてもいい。でも、いえる人もいないとだめだ

どうしたら、日常の幸せを大事にできるだろう

 

たぶん、ひとつのやり方は、自分を好きでいること。

電車で一緒に帰った女の子にも、自分を好きでいてほしいとすごく思う。

自分を好きで入れるコツは、やっぱり自分の「好き」を大事にすること。

コメタクが、たとえ東京にいてもコメタクの発信を受け取ることが、支えだと言ってくれたその子。

明日の自分も好きでいてほしいから、コメタクをやっているのかもしれない。

 

うわ、ぜんぜんまとまっていないけど、とりあえず出したからいいか。

感性のまかせるままに(後編)

 

続きを書こうと思っていたら、しばらくあいてしまいました。

前回私が新潟に戻っていた時のおはなし「感性のまかせるままに」の続きです。

 

飯塚商店でご飯をたらふく食べ、お米の精米方法も教えてもらったおちびちゃんたちは、

ごはんをくれたお姉さんたちにおすすめしてもらったツルハシブックスという本屋さんに向かいました。

なんか絵本みたいになってしまった。でもこれ絵本にできそうだ。私目線に戻ります。笑

この子達、すぐ近所に住んでいるのですが、ツルハシブックスには来たことがなかったのです。

初めて入るちょっと不思議な本屋さんに、みんな夢中になりました。知らない大人もいっぱいいたからびっくりしてたけどね。

実はそのとき、たまたまもう2人、小さなお客さんがいました。

こちらも小学生の仲良し二人組。りこちゃんとにこちゃんです。

この子たちはもうツルハシブックスの常連で、私も前から友達。

今日は私が新潟に来てるタイミングで偶然ご来店してくれました。

それで、3階で絵をかいたりして過ごしていたところに、私が別の小学生を案内して連れてきたから、一気に小学生が増えて学校みたいになりました。

りこちゃんとにこちゃんは、絵をかいたりメッセージカードを作ったりかわいいものを工作することに興味があって、実は明日私雑貨作って売ろうかなと思っているんだよね、と私が言うと、

「りこたちアイデア考える!」

って紙にアイデアを書き出してくれたり絵をかいたりしてくれていたのです。かわいすぎる。

あとから米屋から来た3人組のほうは、壁に貼ってある「大人の部活動」に大注目。

「私たちもつくるー!」

あっという間にいろんな部ができました。ここでは、紙に書いて貼ればもう部活ができちゃうから。

しゅげいぶ、おしゃれぶ、おとなじょしぶ・・・

最後に作ってくれたのは、

「おこめけんきゅうぶ」。

あらまあ、うれしい。よっぽどさっきの精米見学が楽しかったのかな。

なんかもう、うれしすぎるなあ。

 

気が付くと、りこちゃんが切ったり貼ったりかわいいものを(私の画用紙とかを使いまくって笑)作っているところに、3人組のうちのひとりが、興味津々で近づいていました。

「かわいい・・・のんも作りたい!」

ちょっととまどっているりこちゃん。

「りこちゃんに教えてもらえばいいんじゃない」

と言うと、大人っぽいおすましりこちゃんは、シールと髪ゴムづくりをのんちゃんに見せ始めました。

教えるって、案外やったことがない経験なのかもね。

この、夢中で何かをやる感じ、言われたからやるんじゃなくてやってみたいからやる感じ、

自分の感性のまかせるままに何かをやるかんじ、その楽しさを覚えておいてほしいな。

それで、この瞬間がこれからもたまにあるような日常をおくってほしい。

そう願ってやまないのでした。

 

次の日のいのうえゆきの屋台は、半分りこちゃんにこちゃんの屋台にもなりました。

一緒に値段をつけたり、レイアウトを工夫してみたり、呼び込みしてみたり。

なんと来てもらいたいあまりに、道を歩く人にまで声をかけていました。

そんな積極的だったっけ?笑

すごく楽しそうで、私はあまり商品が作れなかったんだけど、それでもいいと思えました。

 

来年も、なんとなく今日のために生きてきたのかもしれない、と思える瞬間が日常にありますように。

感性のまかせるままに。(前編)

2016年6月25日のブログ*

 

先日の新潟帰り(東京よりも新潟のホーム感がすごいので、帰るといってしまう)は、なんだかすごく満たされました。

たった2日とちょっとしかいなかったのだけど、本当に腹いっぱい胸いっぱい満たされたなあ。

 

いろいろ理由はあるけれど、確実にそのひとつなのが、この2日間で出会った5人の小学生です。

まずは、内野小学校5年生2人と3年生一人の3人組。飯塚商店の、外に面したところでご飯を食べていたら、たまたま道を歩いてきたのです。

「ごはん、食べてく?」

「えっ・・・いいんですか」「あっでもごはん好きで」

はじめは恐る恐る入ってきた3人。靴を脱いで張ったばかりの板の上に座るのが気持ちよかったのか、なんとなく和んだ雰囲気がよかったのか、しばらくしてすぐに本来の無邪気さを出し始めました。

ちょうどそのときは、ご飯の食べ比べをしていたんですね。だから、同じように残っていたご飯を食べ比べてもらいました。

その3人のおいしそうに食べる顔の幸せなこと。

それを見る私たち全員を心の底から幸せにしてくれる笑顔でした。

「私こっちが好きー!」

「私の妹が3年生でね・・・」

「大学生なの?すごーい!」

思い思いにしゃべる3人がかわいくてかわいくて、思わずにやにやむふむふしてしまう私とさくらちゃん。

ごはんのあとは、飯塚さんに奥の米蔵を見せてもらいました。

3人に精米の様子を見せる飯塚さんの表情のまた良いこと・・・!

飯塚さんに教わったことを私に教えようとする女の子の素直なこと・・・!

今日のこの空間の幸福度はなんなんでしょう。全く言葉にできないですが、とにかく幸せな空間でした。

きっとこの子達にとって、自分たちが住んでいる町の中に、しかも何気なくいつも通りな顔をしてそこにあるお店に、

こんな楽しい世界への扉が隠れているなんて知らなかったでしょう。

いやあ、商店街がこんなふうに突然学校に変わったら楽しいに決まってる。

 

「ごはんタダでもらっちゃったから、夏休み改装手伝いに来るね。」

最後に女の子に耳打ちされた私がもう本当に嬉しくなってしまったのは、言わなくてもわかりますね(笑)

ひとつ、こんな景色を見たかったのかもしれない。この瞬間を迎えるためにやってきたのかもしれない。

たぶんさくらちゃんもそんなことを思っていたような気がします。

ああ、やっててよかった。

(このあとの話はつづきにて)

たすけるための技

さて、最近は就職活動も落ち着いて、心身ともに充実した日々を過ごしております。

なんか、日々納得度が高まっていくかんじ。 たぶん、会いたい人と会って話したい人と話しているからだと思います。

今日はこの間衝撃を受けた言葉について書いておきたいと思います。

それは、友達からのLINEでした。

その友達はいつもわくわくしながら自分の「好き」に向かって行動していて、 たまに会ったときは一緒に面白い企画考えたり働き方生き方について語り合ったりできる大事な大事な友達です。

その子からのLINEの一部。

「何か専門性がほしいな。 そしてゆきちゃんについていって困ってる時に助けたい笑」

 

それは出先でちょっと急ぎながらパッと読んだLINEだったんだけど、 ガツンと私の心に来ました。たぶんほんとに息をのみました。

これだこれ!

 

私は自分を売ってくような専門的なスキルがないことが少しコンプレックスでもあり、 でもスキルばかりを追い求める授業やインターンや仕事などはなんとなく惹かれない気持ちがあって、

「スキル」とか「技術」にたいしてどう考えたらしっくりくるのかまだ分からない状態でした。

でも、一番しっくりくるひとつの考え方がこのメッセージにあったのです。

「この人をたすけたいから」専門性がほしい。

この人のやりたいことを後押しするための

自分が共感できるある人の思いの実現を可能にするための

自分がその人と一緒にやるための 専門性、スキルなら 私もすごくほしいと思える。

料理が作れる、絵が描ける、音楽ができる、ものが作れる、デザインできる、、もっともっとあるけど、全部そうだ。

すごく個人的でいいと思った。たすけたい対象は。

たぶん自分の思いを自分だけで表現して評価される喜びとは全然違う喜びがそこにはあるなあ。

どちらに喜びを感じるかは人それぞれだけど、私は「誰かとともに」の方がいいな。

そしてその喜びを感じる瞬間がない働き方は、あんまりしたくないかもしれないなぁ。

内野で暮らしていたときは、そんな瞬間がたくさんあった。

飯塚さんが米を運ぶ人を探しているから、桜井さんがジャガイモ掘りを手伝ってくれる人を探しているから、「自分の人脈を使って助ける。」

大口さんがコラボ商品を作りたいから、「一緒にアイデアを出すことで助ける。」

ツルハシブックスに来た大学生がやってみたいことを「一緒にイベント企画をすることで助ける」。

こういう時出る馬力はなんなんだろう。 ほんとにすごいパワーが出る。見返りの求めていないパワーが出る。

いいなぁ。 この人が困ったときに自分が力になれるように頑張ろう。 って人が、私には何人もいる。 頑張ろう、ってほんとにほんとに思えた。